「華氏911」でいちばん怖い場面

TomoMachi2004-07-03

サンフランシスコで「華氏911」を見た時、会場がざわめいたのは、
シスコの対岸オークランドのメリット湖畔が映った時だった。
オイラの家があるあたりである。
要するにみんな「あっ、この近くが映ってる」と思ったので声が出ただけ。


メリット湖畔の芝生で一人の老人が、自分の体験を語る。
スポーツジムの井戸端会議で「ブッシュのAsshole」と言ったら、
それだけで、FBIに調査されたのだ。


実はオイラはこの場面がいちばん怖かった。
華氏911」ではあまり強調されてないが、ブッシュ政権で最も恐ろしいのは
国民の思想を監視する「愛国法」が成立してしまったことである。


「愛国法」により、政府に求められたらネット・プロバイダーは利用者の個人情報を提供しなければならない。ネットの通販のデータや図書館の利用データ、クレジットカードの利用明細を政府は知ることができる。それに電話の盗聴も自由になり、すでに盗聴は始まっている。
これは完全に合衆国憲法違反である。
民主党の議員も法案を読みもせずにこの「愛国法」を通してしまったのだ。
「愛国法」などという名だから、反対すると「愛国的じゃない」「売国奴だ」と言われて反対しにくい状況だったのだ。


この愛国法が実際にどういう事態を起こしているかは、このサイトを見てください。
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2004/07/post.html


この他にも、「マイケル・ムーア」という名前の退役軍人が理由もなく逮捕されたり、異常な事態が全米で起こっている。


なにが怖いってウチの近所に住んでるタダのジイサンがブッシュはケツの穴 と言っただけでFBIにチェックされたということだ。
じゃあ、オイラはどうなるの?
しかも外国人だしなあ。
でも、年間数万ドルの税金も納めてきたし、
娘は暫定的アメリカ市民だ。


マイケル・ムーアもまた権力になってしまった」などと言って何でも相対化すればカッコいいと思ってるお子様もいるだろう。
権力というのは、他人の個人的データを勝手に盗み見て、それでも罪に問われることもなく、逆に人を拘束したり国外追放できることをいうのだ。
ラジオの放送を管理して罰金を科したりライセンス停止をちらつかせて圧力をかけることを言うのだ。
戦争を始めて、人を殺しても罪に問われないことを権力と言うのだ。
税金を使って国民にプロパガンダを押し付ける力を言うのだ。


マイケル・ムーア自身は、他人の個人情報を勝手に見たら罪になる。
それどころか自分の意見を貫くと殺されるかもしれない。
彼自身はいつも政府や右翼の暴力に恐怖しながら、銃や爆弾ではなく、映画だけで戦っている。
アンチの連中はムーアの住所をネットで公開しているが、
これはキリスト教原理主義の連中が、
中絶医の住所をさらすことで狂信的な連中が殺しに行くよう示唆した戦略と同じで、実際に何人かの医者がキチガイに殺された。
ところが警察はこのような行為を野放しにしている。
脅迫されても警察に守られないムーアが国家と同じ権力だろうか?



華氏911』は観に行くのも行かないのも自由だし、
賛同するもしないも自由なのだ。
しかし「愛国法」は、アメリカに住むすべての人間はブッシュの政策に賛同しないと逮捕すると脅しているのだ。


(もちろん強い自分の意志や行動力を持たない人間にとっては、彼のように強い意見を主張し、その発言が多くの人に影響を与え、映画がヒットするのを見ると、それだけで反発を感じる者もいるだろうが、それは嫉妬であって彼が「権力的」なのではない。彼は金持ちのボンボンではなく、実力で今の地位を得たのだ。経済的に成功したことを批判する者もいるが、強い者に突っ張ることでも金が儲かる世の中でないと、誰もお上に逆らわなくなってしまう)。


華氏911」の細かい間違いや論理の整合性の甘さを批判している人も多いし、日本でもそういう批判は出てくると思うが、たいていは「フセインはたしかに悪かった」というレベルの的外れな重箱の隅以下の指摘である。
ブッシュ政権は、テロの警告を無視したうえに、テロリストを逃し、それを放っておいて、無関係なイラクにウソの理由で攻め込み、それに疑問を呈することを違法化した」
という「華氏911」の「本質」そのものに反論しない限り、その「本質」から目をそらすための撹乱工作でしかない。


今は50年代アメリカや旧共産主義国のように批評とか表現という行為そのものができなくなる瀬戸際なのだ。
(アメリカだけじゃないぞ。日本でもウェブのコンテンツを「健全化」する法律がもう成立したし、レイプ小説ばかり書いていた石原慎太郎がエロ本規制を始めているんだから)。
ここで何としてでも止めておかないと、もう取り返しがつかないのだ。
マイケル・ムーアはまさにスティーブン・キングの「デッドゾーン」の主人公と同じ気分なのに違いない。
華氏911」を「映画的な視点において」「政治的な論理において」批判する連中は、「デッドゾーン」の主人公に「君のやろうとしていることは犯罪だ」と言うのと同じである。
でもムーアは別に大統領を暗殺しようとしてるわけじゃない。
映画それ自体は銃弾でも毒ガスでもないし観たくなきゃ見なきゃいいものだ。
「映画として問題ある」映画でも、やっぱり映画なのだ。
そしてオイラはセックスやバイオレンス満載の「問題がある映画」が大好きだ。
人はどんなに「映画として問題のある」映画だって作れる。
自由主義社会なんだから。
NYタイムズやNYデイリーニューズ、サンフランシスコ・クロニクル、シカゴ・サンタイムズなどはすべて、「華氏911」の表現上の問題をちゃんと指摘しながらも、表現者としての怒りに賛同を表明するというスタンスをとっている。


華氏911」でムーアが多少の反則をしていてもそれはプロレスにおける「怒りの反則」と同じだ。

瑣末なミスを指摘して「華氏911」を断罪するのは、巨大な国家権力というレスラーたちの凶器攻撃でよってたかって袋叩きにされていたムーアが、椅子をふるって反撃したからといって、それで反則負けを宣告するレフェリーと同じである。


ムーアに限らずこのコーポレイトソサエティのなかで必死に「自分の」映画を作っている作家たちがいる。オイラは批評家としては彼らの戦いへの敬意だけはいつも忘れないことにしている。できあがった料理を味見して冷たく高飛車に批評するグルメ映画評論だけは絶対にしないことししている(その代わり大企業の映画は別だ)。
華氏911」は凄まじい妨害工作を乗り越えて公開され、大ヒットしたといってもやはり敵は世界一強大な国家の権力なのだ。
命を張っている作家を、自分は安全圏にいるくせに高みから偉そうに批評したくない。

おそらく日本でも、「華氏911」の政治的ディテールに反論して自分を偉く見せようとするインテリ志願の連中がぞろぞろ出てくるだろう。
イラク攻撃を批判してますがフセインが独裁者だったのは事実ですからね」などと得意気に言う連中だ(あの時点でイラクに行く必要があったのかっつーの!)


でも、おそらくアメリカや日本に限らずムーアに反発する心理は政治とは無関係だ。
自分が強いものに逆らう勇気もなく、ただ長いものに巻かれて生きているから、そうでない人間に嫉妬する、惨めな、行き場を間違えたルサンチマンだ。
実は昔から新しいことや突出したことを妨害してきたのは権力よりも
そういう大衆の嫉妬なのだ。
バケツに沢山入れたカニはフタをしなくても決して逃げられない。
一匹が上に行こうとすると必ず他のカニが引き摺り下ろそうとするからだ。
みんなにチヤホヤされている人を見ると、彼の作品など見ないのに、理解できないのに、
「あいつなんか、たいしたことないや」
と言ってみることで自分の惨めなつまんない人生がホンの少し救われる。
くだらん。



しかし、何よりも物を書いて暮らす者のはしくれとして
映画が大好きな者として、
一本の映画が、あらゆる手段で人々を脅かす大統領の権力を脅かしているというその事実そのものを祝福せずにはいられない。
でも、逆に普段は大企業のケツをなめ、高い金でゴミを売りつけ、けっして権威には逆らわない
村上隆のようなクズやコピーライターの類が「華氏911」をヨイショして「いい人」を気取ったりするとそっちのほうがムカつくという気もするが。



さて、アメリカはもうマッカーシズムのアカ狩り寸前である。
ブッシュは、中絶に反対し、テレビやラジオの番組内容を検閲し、同性愛の結婚に反対し、少数民族の雇用平等措置の撤廃を求め、キリスト教を全国民に押し付けようとしている。
それに対する反対言論を締め付けるために戦争が利用されている。
戦争よりも本当はそっちのほうが目的だったのではないかと思うほどだ。


コメディアンのジェイ・レノはこう言った。
「新生イラクに新しい憲法が必要なんだって? 
だったらアメリカのをくれてやれ。
だってもう使われてないんだから」


オーウェルの「1984」では国民をコントロールするため、意図的に戦争状態が必要とされるが、あれと同じだ。
1984」の世界では、
外国との戦争によって、国内は一つの思想にまとめられ、
国家に服従することによって、個人は自由が与えられ、
政府のしていることに無知であることによって、善良な市民として社会的地位を得る。

「戦争は平和であり、
 服従は自由であり、
 無知は力である」


写真は映画What a Girl Wantsの修正前のポスター。
「ピース・サイン」が「戦時に不適当である」であるとして手を下げている絵に描き変えられた。「平和禁止!」


チャップリンが「独裁者」で徹底的にヒットラーを攻撃した時、アメリカですら
「何を必死になっているんだ」
「最後の演説が一方的なメッセージすぎる」
「映画で意図的にヒットラーを悪く描いている」
など、やはり否定的な批評が少なくなかった。
でも、その後、アメリカと世界はヒットラーが大虐殺をしていた事実を知って、もっと早く止めておくべきだった、と後悔した。
しかし、殺された600万人はもう帰らなかったのだ。