■
19日のテレビで、ブッシュ政権のサイバー・テロ対策担当だったリチャード・クラーク氏が、こう証言した。
同時多発テロの翌日、ブッシュ大統領を囲む会議で、大統領とラムズフェルド国防長官がイラク攻撃を主張した。
クラーク氏は「ちょっと待ってください。テロの首謀者はアフガンにいるんですよ。イラクとの関係は何も出てきていません」と聞き返すと、ラムズフェルドは言った。
「アフガンにはロクな標的がいないけど、イラクにはフセインがいるからな」
強盗に入られたから、普段から気に食わなかった奴をいきなりブン殴る、みたいなムチャクチャな話だ。
つまりテロがあろうとなかろうとブッシュ政権がイラク攻撃を企んでいたことが明らかになったのだ。
つまり大量破壊兵器云々は後からデッチ上げた口実だったわけだ。
それにしても、あの惨劇の翌日に、すぐにそれを自分たちの企みに利用しようとしていた不謹慎さに呆れる。
このニュースを観て、『戦争の霧』The Fog of War: Eleven Lessons from the Life of Robert S. McNamaraという映画を思い出した。副題は「ローバト・S・マクナマラの生涯に学ぶ11の教訓」。60年代の国防長官だったマクナマラ氏(85歳)へのインタビュー映画で、」今年のアカデミー賞で最優秀ドキュメンタリーに選ばれた。監督は『死神博士の栄光と没落』のエロール・モリス。
マクナマラは、第二次世界大戦でル・メイ将軍の下、東京大空襲に参加した。一晩で女子供老人など10万人を焼き尽くしたこの空襲をマクナマラは深く後悔した。
ル・メイは「もしアメリカが戦争に負けたら、俺たちは戦争犯罪人として死刑だな」と言っていたというから、確信犯である。
マクナマラは戦後、フォード自動車に入り、経営者に出世した。そして世界で初めてシートベルトを標準装備して、人々の命を救った。その経営手腕を買われて、マクナマラはケネディ大統領の国防長官に抜擢された。62年、キューバにソ連の核ミサイルが運び込まれ、ル・メイ将軍はキューバを核攻撃しようとしたが、マクナマラはそれを阻止し、世界核戦争を食い止めた。
63年、ケネディは暗殺され、ジョンソン大統領が後を継ぎ、トンキン湾事件が起こった。ベトナム沖に停泊中の米軍艦が何者かに魚雷攻撃され、マクナマラと大統領はこれを北ベトナムからの攻撃と断定し、報復爆撃を実行した。これがベトナム戦争の始まりである。アメリカは東京大空襲の何倍もの爆弾を落とし続けてベトナム人75万人を殺した。
ところが、本当はトンキン湾での魚雷攻撃など存在しなかったのだ。マクナマラは「非常に情報が錯綜していたので間違えた」と弁解するが、実際はアメリカは以前から爆撃を計画していた。とにかく何でもいいからきっかけが欲しかったのだ。
真珠湾攻撃はアメリカの意図的な誘導によって「奇襲」になった。日本の中国侵略の口実に使われた盧溝橋事件も日本軍のデッチ上げだった。でも、いったん戦争が始まるときっかけのディテールは省みられなくなくなってしまうのだ。
ちなみに、この映画の中では描かれないが、ル・メイは原爆一発でキューバを消して終わりだとは思っていなかった。世界全面核戦争が起こることを望んでいたのだ。「すべての核弾頭でソ連を消滅させてやる」と言ったこともある。しかも、その際に地球もほとんど全滅するだろうことも知らないわけじゃなかった。ル・メイには一種の破滅願望があったのだ。こんな男が戦略空軍を仕切っていたのだから恐ろしい話である。
ちなみに佐藤栄作は日本人を何十万人も殺したル・メイに勲章を授けた。その佐藤栄作はノーベル平和賞を受けた。もうこの世には正義なんてないよ。
ジョン・ミリアスはル・メイの生涯を描いた脚本を書き上げ、ロバート・ゼメキス監督で映画化することになていたが、あの企画はどうなったんだろう?