12月15日に新装版が出る、新井英樹先生の「愛しのアイリーン」に解説を書きました。
- 作者: 新井英樹
- 出版社/メーカー: 太田出版
- 発売日: 2010/12/15
- メディア: 単行本
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上下巻の上巻ですが、解説では作品全体を論じているので、読むのが今回初めての人は、下巻も読んでから、解説を読んでください。
でも、書き落としたこともあります。「愛しのアイリーン」でいちばん好きなシーンは、岩男がアイリーンを抱きしめて「……お前が浸み込むみてえだ」とつぶやくシーンです。
「こんな映画があった……」
女衒の塩崎裕二郎は語る。
「イタリアの片田舎で、大道芸人の大男が、海辺に住む貧乏暮らしの家族から娘を買い取り、旅をする……。この俺に……見せろ。今すぐ!! その映画を……」
その映画とは、フェデリコ・フェリーニ監督の『道』(54年)だ。
胸を膨らませて鉄の鎖を切る見世物芸人ザンパノ(アンソニー・クイン)は、ジェルソミーナ(監督の妻ジュリエッタ・マシーナ)を1万リラで母親から買う。その夜、ザンパノはジェルソミーナの処女を犯す。高いびきをかいて眠る大男の傍らでジェルソミーナはそっと涙を拭う。
乱暴で傲慢で好色な獣のようなザンパノはジェルソミーナを犬のように扱う。
「あたいのように無意味な人間は、死んだほうがましだ」と嘆くジェルソミーナ。だが、旅路で出会った道化師から「すべては神がお造りになった。だから石ころにだって意味があるはずだよ」と言われて、生きて行こうと決意する。
ジェルソミーナの生きる意味とは、ザンパノを愛することだった。
しかし大男はまるで気づかず、粗野なふるまいの果てに、その道化師を殴り殺す。ショックで精神が壊れたジェルソミーナをザンパノは荒野に置き去りにする。
4、5年後、ザンパノはジェルソミーナが死んだことを知り、夜の浜辺で砂をつかんで号泣する。俺はあの娘を愛していた。それを今、知った。でも、もう遅かった。
『愛しのアイリーン』の岩男も、アイリーンと会っていた優男の僧正宗を殴るが、ザンパノほど愚かじゃない。自分がアイリーンを愛しているのを知っていたから。
『愛しのアイリーン』は、幸せについての物語だ。
アイリーンは「少しだけ幸せになりたいから」岩男と結婚したと言い、「岩男さんを幸せにするの!」と叫ぶ。
アイリーンを岩男に託した国際結婚紹介所の竜野社長は別れ際にこんな「お願い」をする。「たとえ国が違っても幸せを望み願う気持ちはどこも一緒です。必ず!! 幸せにしてあげてください」
しかし、幸せとはいったい何なのか?
「お前は今、幸せか?」 塩崎は日本人と結婚したフィリピン女性たちに問う。
竜野社長が男女を結びつけるキューピッドなら、それを引き裂くことを生業とする塩崎は本人が名乗るとおり悪魔メフィストフェレスだ。ところがこの悪魔はやたらと幸せを口にする。
「限られた枠のなかで幸せを探すな」
「俺の仕事は幸せの間口を広げることだ」
ウソをついているわけじゃない。男女の愛欲の結果として生まれ、捨てられた塩崎は「結婚=幸せ」「恋愛=幸せ」というウソを憎み、そのウソを暴くために結婚を破壊して回っている。しかし彼はどこかに本当の幸せがあると信じている。
「人は…互いが互いをこの世で一番幸せにできる者同士が結ばれるべきだ」と塩崎は言う。「俺たちの父母の不幸は愛憎のみで結ばれてしまったことだ」
塩崎によると、本当の幸せには愛増だけでは不充分らしい。では、何が要なのか?
「幸せとは常に相対的なもの、犠牲があってこそつかめるもの」
犠牲――。教会から新約聖書の朗読が聞こえてくる。
「あなたがたはまだ罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません」
それは「ヘブル人への手紙」12章の一節。すべての苦難は神が与えた試練だという教え。
メフィストはファウスト博士を誘惑できるかどうか神と賭けをする。神への復讐のために人間を誘惑しようとするサタンと同じだ。誘惑のために塩崎は三つの武器を使う。
「無条件に国境を破るものが……3つある。金とセックス……そして、暴力だ」
セックス目当てにアイリーンを買った岩男。金目当てに結婚したアイリーン。この二人は暴力と金とセックスによって試される。
塩崎は愛を金で買う男たちへの怒りを岩男にぶつける。止めようとしてホセは「僕、塩崎さんを愛してます」と叫ぶ。それを聞いた塩崎は笑顔で答える。
「ホセ」
今までは「ジャピーノ」としか呼ばなかった彼が初めて名前を呼んだ。やっと愛を見つけた。幸せの絶頂で、散弾が塩崎とホセの頭を貫く。それは塩崎の夢見た結婚式だ。国境を超えるものには四つ目があった。
愛だ。
岩男とアイリーンの夫婦としての初仕事はケーキへの入刀ではなく殺人と証拠隠滅だった。そのまま二人は激しく結ばれる。
セックスと暴力は岩男を縛っていた呪いを解いた。KISSという単語を見ただけで真っ赤になって照れていた岩男は、女たちの欲望の的へと脱皮する。四十二年ぶん溜まった澱を吐き出すようにセックスしまくる岩男。岩男が叫ぶ「おまんご!」はOh, Man, Go!、男のいく先だ。
しかし、家に帰って来ると岩男はアイリーンとの会話もなく「メシ食っで、おまんごして寝るだけ」。しかもセックスの時、買春のように三千円を渡す。辞書を引きながら言葉を探していた岩男の優しさはどこに? 嘆くアイリーンにマリーンは諭す。
「金と優しさと言葉しか武器にできない男はニセ者だからね」
「言葉も?」
「所詮、ただの代用品だよ」
何の代用品? 愛の。愛そのものは言葉にできない。
その夜も、岩男は殴り合いの果てにアイリーンを抱いた。まるで昔の夫婦だ。夫は外では女郎を買うくせに家に帰ると「メシだ」「風呂だ」くらいしか言わない。妻は夫をガミガミ罵る。夫婦喧嘩の後はいつもセックス。そして、アイリーンは初めての絶頂を経験する。
「アタマンナガ、シロイニナルダガラ、オマンゴダケフタリノシアワセ」
岩男がアイリーンに冷たくしたのには理由があった。ヤクザに命を狙われた岩男はアイリーンが巻き込まれないよう、フィリピンに帰そうとしていた。だから「岩男さんを守る!」と思わないよう彼女を突き放した。
それでも妻への愛は抑えきれなかった。岩男はあふれる想いを吐き出すようにアイリーンの名前を森の木に刻みつけていた。岩男の行きつけの居酒屋は「無法松」だが、『無法松の一生』で純情無法松が片思いの未亡人に遺した預金通帳にあたるのが、岩男が森に刻んだラブレターだ。
それを見てアイリーンは真実の愛を確信する。岩男の「ラストダンスは私に」ちゃんと残されていた。
次にアイリーンは義母つるの壮絶な「介護」を戦う。パチンコ屋の社長が言っていた。「殺し合ってこそ親子でしょうが」
最後にアイリーンは「ウチ、今、ダイタイ幸セヨ」と言う。婚約指輪をもらった女性が「幸せ」とつぶやくのとは重みが違う。「戦って血を流した」後での「幸せ」。
新井英樹のジェルソミーナは岩男を孕んで岩子として産み落とす。小石にすら意味があるなら、岩に意味がないはずがない。