「キャット・ピープル」のシモーヌ・シモンに捧ぐ

TomoMachi2005-03-08


ウェブ「スカパー!シネマ倶楽部」の連載コラムに(締め切り遅れちまったよ)、
先月22日に亡くなったシモーヌ・シモンについて書きました。

キャット・ピープル』『反撥』『天人唐草』、そして『イレイザーヘッド

去る2月22日、フランスの女優、シモーヌ・シモンが亡くなった。93歳だった。
シモンは何よりもアメリカで主演した『キャット・ピープル』(42年)で世界の映画ファンに記憶され続けてきた。この『キャット・ピープル』は「男性恐怖ホラー」とも呼ぶべき一群の映画の元祖である。
シモン演じるイレーナはニューヨークに移民してきたセルビア人女性。アメリカ人男性オリバーと恋に落ちて結婚するが、夫にはセックスどころかキスもさせない。というのもイレーナはキャット・ピープル(猫族)で、異性と結ばれると猫になってしまうというのだ。
イレーナは夫を愛してるがどうしても応えられない。そのくせ、夫が共通の女友達アリスと浮気をしているのではないかと疑い、彼女を襲う。
キャット・ピープル』は後にポール・シュレイダー監督でリメイクされた。そこではヒロインのナスターシャ・キンスキーが恋人に処女を捧げて実際に特殊メイクで豹に変身する。シモーヌ・シモンは猫のような独特の容貌をしているが、最後まで猫メイクなどしない。ジャック・ターナー監督は決して「猫人間」の姿を画面には登場させず、光と闇のコンストラストを強調したフィルム・ノワールの手法で、猫を影だけで示す。ターナーは最後まで、キャット・ピープルが実在するのか、それとも男性を拒絶するイレーナが作り上げた妄想なのか、はっきりさせない。
当時のアメリカでは、フロイト精神分析が輸入されて、性的抑圧というものがクローズアップされつつあった。シモーヌ・シモンは当時32歳だが、大きな目と丸顔のために少女のようにも見える。イレーネは体は大人でも、精神は少女のまま、セックスという現実を受け入れることができず、ついには愛する夫さえも殺そうとして崩壊する。
キャット・ピープル』の後、40年代から50年代にかけてアメリカ人1万8千人の性体験を調査した「キンゼイ報告」が発表され、女性もまた性欲を持つことが確認された(それまでキリスト教のせいで女性には性欲がないとされていたのだ!)。そして60年代のピル解禁、女性解放運動、ウーマンリブと、いわゆる「セックス革命」が続いていく。
女性がセックスにおいて解放されていく一方で、それについていけない女性たちの恐怖を描く映画も作られていく。『ディメンシアDementia 』(55年)、『恐怖の足跡』(61年) 、『たたり』(63年)、そして、今回の主役である映画『反撥』(64年)も、『キャット・ピープル』と同じテーマを扱ったホラーだ。
 主人公はロンドンに移民してきたポーランド女性キャロル(カトリーヌ・ドヌーヴ)。彼女は『キャット・ピープル』のイレーネと同じく、東欧から文化の最先端の都市にやって来て、その解放されたムードに溶け込めない女性である。それと同時にポーランドからやって来た監督ロマン・ポランスキー自身の疎外感や孤独も反映されているのだろう。
キャロルはエステティック・サロンで働きながらアパートに姉と同居しているが、姉は恋人を毎晩部屋に連れ込んでいる。夜になると壁の向こうから聞こえてくる姉のあえぎ声に悩まされてキャロルは眠れない。彼が洗面台に置いていった歯ブラシを見ただけで吐きそうになる。キャロルは美しいので道を歩けば男たちが振り向く(もしくはキャロルはそう思っている)。道路工事をしている汗と泥にまみれた労働者の笑顔がいやらしく思えて逃げ出してしまう。ボーイフレンドもいるが、キスされると押しのけて何度も何度も口を洗う。
キャロルを演じるカトリーヌ・ドヌーヴは前髪を長く伸ばして、目を外界から隠している(『リング』の貞子や『Mr.インクレディブル』のゴス長女の元祖だ)。ほとんどしゃべらず、しゃべる時も蚊の鳴くような声で、決して人と目を合わせず、いつも幼い子供のように爪を咬み、神経質に鼻をいじっている。
ある日、姉は恋人と二人でイタリア旅行に出てしまう。一人っきりで部屋に残されたキャロルは、夜になると昼間の工事現場の労働者が部屋に押し入ってきて自分を犯す妄想に襲われる。姉が冷蔵庫に残していったウサギの丸焼きも、気持ち悪くて食べられない。野菜を切って食べようと思ったが、途中でやめてしまう。
エステティック・サロンでも、客の爪を切っている時に客の唇が気持ち悪く見えて、客の指を切ってしまう。これで仕事にも行かずに部屋に閉じこもる。まな板に放置されたジャガイモからは芽が伸び放題。ウサギの丸焼きは腐って蝿がたかっている。そこにボーイフレンドが訪ねて来る……。
キャロルが怯えているのは実は男性ではなく、自分のなかに目覚めた「女」なのだ。彼女はレイプ犯の侵入を恐れると同時に、男を待ち望んで唇に紅をひき、鏡に向かって妖艶に微笑む。皮を剥がれて皿の上で丸まったウサギの丸焼きが不快なのは胎児に似ているからだ。
「子供を生む性」であることへの恐怖というテーマを、ポランスキーは『ローズマリーの赤ちゃん』(68年)でも繰り返した。少女のような若妻ローズマリーは妊娠するが、カルト教団によって悪魔の子を身ごもらされたのではないかと恐怖する。その翌年、ポランスキーの妻、シャロン・テートは妊娠中に家に押し入ってきたカルト教団マンソン・ファミリーに腹を裂かれて殺された。
ローズマリーの赤ちゃん』と並ぶ当時のホラー映画の傑作『エクソシスト』(73年)も、初潮を迎える少女の精神が均衡を失い、部屋に閉じこもり、母に言い寄る男やカウンセラーや神父を片っ端から拒絶して攻撃し、自らの性器に十字架を突き立てる。『エクソシスト』のウィリアム・フリードキン監督は『反撥』から強い影響を受けている。フリードキンが監督したローラ・ブラニガンのミュージック・ビデオでは、廊下の壁から男の腕が突き出してくる『反撥』で最も有名なシーンを再現している。
 自分のなかの「女」に恐怖して閉じこもる女性は、山岸涼子も『天人唐草』などで繰り返し描いているが、これは女性だけの問題ではない。デヴィッド・リンチの『イレイザーヘッド』(77年)では、恋人を妊娠させてしまった主人公イレイザーヘッドが、奇形の赤ん坊と二人きりでアパートの部屋にいるうちに精神が崩壊していく。ウサギの丸焼きのようなイレイザーヘッドの赤ん坊、薄暗い電気スタンドに照らされた部屋、床の市松模様など『反撥』からの影響は明らかだ。リンチによれば、『イレイザーヘッド』は、学生時代に恋人が妊娠して、望まずして父親になってしまった自分自身の恐怖を描いた映画だという。
要は、女か男かではなく、大人になることへの恐れなのだ。
キャット・ピープルがイレーネの「少女性」が生み出した妄想にすぎないことは、同じ脚本家デウィット・ボディーンが書いた続編『キャット・ピープルの呪い』(42年)でさらに明らかだ。イレーネの死後、残された夫オリバーは結局、アリスと結婚し、娘エイミーをもうける。エイミーは夢見がちな少女で、いつまでも子供のおとぎ話の世界に閉じこもっているため、他の少女たちから仲間はずれにされ、友達がいない。孤独なエイミーは父の最初の妻であるイレーネの写真を見つけ、想像のなかでイレーネと友達になる。シモーヌ・シモンキャット・ピープルではなく、エイミーのイマジナリー・フレンド(空想の友)として登場する。
しかし、エイミーは最後に現実の戦いを経験して成長する。イレーネのようにも、キャロルのようにもならずにすんだのだ。
 ちなみにオリジナルのメタファーがまるでわかってないポール・シュレイダーの『キャット・ウーマン』は、動物園の飼育係を愛したヒロインが豹になって動物園で飼育される人生を選ぶというバカげたオチなんでズッコケたよ。