「ナイロビの蜂」遍在する妻

TomoMachi2006-05-04

 今年のアカデミー賞レイチェル・ワイズ助演女優賞を受賞した『ナイロビの蜂』だが、映画が始まった途端にレイチェル・ワイズはいきなり殺されてしまう!
 レイチェル演じるテッサは、ケニア在住のイギリス外務省職員ジャスティン(レイフ・ファインズ)の妻。
 テッサはアフリカ人の医師と共に貧しい村人たちのために医療ボランティアとして働いていたが、旅先で惨殺される。テッサは実はアフリカ人医師と不倫していて、強盗に殺されたのだとジャスティンは言われる。
 妻は自分を愛していなかったのか?
 妻の不貞を信じられないジャスティンは、真相を求め始める。

 ジャスティンは、妻と出会ったときのことを思い出す。
「国連決議に反して正当な理由なくイラクを侵略したアメリカに追従するイギリスはアメリカの犬ですか?」
 そんな質問を、大学で講義するジャスティンにぶつけた学生がテッサだった。
 しどろもどろで何も答えられないジャスティン。彼はそれまでただの外務省の役人で、戦争について個人的には何も考えてみたことがなかったのだ。
 しかし、ジャスティンはその美しい質問者にたちまち恋してしまう。
 このように『ナイロビの蜂』は、ジャスティンが反芻する妻の思い出と、ジャスティンの真相究明の旅が交互に描かれていく。
 監督は、ブラジル少年版仁義なき戦いシティ・オブ・ゴッド』の青春バイオレンス浪漫で世界の深作欣二ファンを熱狂させ、映画秘宝年間ベストテンではタランティーの『キル・ビル』と熾烈なベストワン争いを繰り広げ、ついでにアカデミー候補にもなったフェルナンド・メイレレス
シティ・オブ・ゴッド』では、トップアングルや微速度撮影、ジャンプカット、長距離横移動、超長回しなどありとあらゆる撮影テクニックを駆使していたが、『ナイロビの蜂』は手持ちカメラによる即興的撮影を細かいカットでつないだドキュメンタリー風の「現在」の映像と、露出が飛び気味で不安定な夢のようなジャスティンの「思い出」の映像を交互に行き来する。
 レイチェル・ワイズは主人公の思い出の中にしか登場しない。
 夫の心の中の亡き妻だから、常に現実離れして美しい。


 ジャスティンは、妻が医療ボランティアをしながらヨーロッパの大手医薬品会社を調査していたことを知る。
 その会社「スリー・ビーズ(三匹の蜂)」は、アフリカの貧しい村を回って無料で医療を与える条件として、村人たちに結核の新薬の人体実験を受けさせていたのだ。
 実験だからして、その新薬には危険な副作用があった。それで死んだ村人はみんな行方不明になっていた。
 現実を知って驚くジャスティンはこう言われる。
「あなたは、企業が単に善意だけで援助しているとでも思ってたのか?」
 しかも、最悪なことにジャスティン以外のイギリス人外交官たちはすべて、その企業に加担していた。
 原作はスパイ小説の巨匠ジョン・ル・カレで、彼はアフリカで起こっている事実に基づいてこの物語を書いたと言っている。
 

ナイロビの蜂』は、多国籍企業による後進国の搾取をめぐる政治サスペンスだ。
 でも、オイラは、一人のダメな夫の物語として見た。


 原題はConstant Gardener(献身的な園芸家)という。
 ジャスティンは庭いじりには熱心だが、現実をまったく見ていなかった。
 自分が働く政府が何がしているのか、直視せず、給料だけをもらってきた。
 赴任したアフリカの悲惨な現実を直視せず、外交官用の豪邸で優雅に庭いじりに逃避していた。
 妻が戦っていることに関心を持とうとせず、妻の相談相手にもなれなかった。
 ジャスティンは、先進国の夫たちの象徴のようだ。 
 医療を受けに来た病人が長い長い道を歩いて家に帰るのを見た妻が、自分の車に乗せてあげようとすると、ジャスティンは反対する。
「目の前の一人を助けたところでどうにもならない。他に何千人もいるんだ」
 夫の言葉を聞いて妻は絶望的な表情になる。
 ジャスティンが言うことは論理的に聞こえる。
 けれど、それでも、目の前の一人を後先も考えず思わず助けてしまう気持ちなくして、万人を助けることが可能なのか? 
 行きずりの人を見捨てる者に、一人の女性を愛し、愛される資格があるのか?
 妻の死の真相を少しずつ知るうちにジャスティンは知る。
 自分は妻のことも世界のことも何も知らなかったと。
 自分は本当に妻を愛してやれてなかったのだと。
 

 ジャスティンの行く先には、どこに行っても妻の影が残っている。 
 テッサはアフリカの大地に葬られ、空気となり、世界に遍在し、夫を見守っている。
 ジャスティン(その名には正義という意味がある)が目覚めるまで。
 

ナイロビの蜂』の撮影は実際にケニアで行われ、撮影中、スタッフは現地の人のために清潔な水を供給するタンクや、橋を作った。
 さらに「コンスタント・ガーデナー・トラスト」を結成し、映画での収益と、映画に共感した人々からの寄付などを元に、アフリカの貧困層への援助を続けている。


 ジャスティンの思い出の中の妻は、スラムの子どもたちに囲まれて笑っている。
 これは演出ではなく、子どもたちもエキストラではない。
 ロケ中に自然に、現地の子どもたちが勝手に集まってきたのを撮影している。
 レイチェル・ワイズと子どもたちは朗らかに挨拶を交わす。
 「こんにちわ」
 「こんにちわ」
 「みんな元気?」