「ビッグ・イエロー・タクシー」黄色いタクシーとは何か?

「ビッグ・イエロー・タクシー」はカナダの女性シンガー・ソングライタージョニ・ミッチェルが1970年に発表した歌だが、今は2002年にカウンティング・クロウズがカバーしたバージョンのほうがよく聴かれている。

 ジョニ・ミッチェルはカバーのほうが有名な歌が多い。「青春の光と影」(69年)はジュディ・コリンズ版のほうが、「サークル・ゲーム」(70年)はバフィー・セント・メアリー版のほうが知られている。CSN&Yの「ウッドストック」もミッチェル作だ。
 カウンティング・クロウズの「ビッグ・イエロー・タクシー」は軽快でトロピカルなアレンジ、ヴァネッサ・カールトンのガーリーなコーラスでヒットし、リゾート地でよく流れていたが、歌詞をよく聴くと、そんな軽い歌じゃない。

楽園を舗装して
駐車場を作った
ピンクのホテルやブティックや
おしゃれな遊び場も


いつだってそんな感じじゃない?
自分が持っていた大切なものの価値は
失ってから初めてわかるのよ
楽園を舗装して
駐車場を作った


木々を全部抜いて
それを樹木博物館に収めた
そして木を見たい人たちから
1ドル50セント入場料を取るの
いつだってこんな感じじゃない?
失くしてから初めて
かけがえのないものだったと知るのよ


ねえ、お百姓さん
今すぐ、そのDDTを捨てて
リンゴに斑点があってもいいから
鳥や虫たちは放っておいて
お願いだから!

 1996年のLAタイムズ紙にジョニ・ミッチェルが語ったところによると、この歌はハワイのワイキキに旅行した経験から生まれたという。ワイキキでは美しい自然を破壊して、道路を舗装し、ホテルや駐車場やバーやレストランを建てていた。
 また、ワイキキのフォスター植物園では、自然に生えているヤシの木を引っこ抜いて温室の中に閉じ込めて、入場料を取って見せていた。
 ミッチェルの視点はハワイを離れ、リンゴ農家への呼びかけになる。今の農作物は農薬漬けだ。果物の味をよくするためではなく、単に見た目をよくするために。農薬は虫だけでなく、それを食べる鳥の体内にも入る。
 農薬DDTは第二次大戦後、アメリカ政府によって世界中で使用された。日本ではノミや虱を駆除するため、子どもたちが全身真っ白になるほど噴霧された。しかし、発がん性などの毒性があるうえに、自然界で分解されにくいため、長期間にわたって土や地下水に残留する。この危険性を指摘したのは、生物学者レイチェル・カーソンが1962年に発表した『沈黙の春』だった。高度経済成長と科学万能主義に酔っていた世界中の人々は、この本で初めて、化学工業社会による環境破壊に気づいた。その8年後に書かれた「ビッグ・イエロー・タクシー」は、「油は海に捨てられ、魚は水銀だらけ」と歌うマーヴィン・ゲイの「マーシーマーシー・ミー」(71年)と並ぶ、エコロジー・ソングの先駆けだ。

 で、タイトルにもなっている大きな黄色いタクシーとは何か。歌詞の最後に登場して、歌い手のBig old manを夜中に連れ去ってしまう。Big old man とは通常「親父」「お父さん」だが、自分の「旦那」をそう呼ぶ場合もある。カウンティング・クロウズ版では、連れ去られるのは「俺の彼女」になっているから、要するに「私の愛する人」ということだ。

昨夜遅く
うちのドアが閉められる音を聞いたわ
そして大きな黄色いタクシーが
私のお父さんを連れていったの


いつだってこうなのよ
大事なものは
失くしてから気づくの

 実はミッチェルの故郷トロント警察のパトカーは当時黄色かったという。この部分を聞くと、『1984年』や『未来世紀ブラジル』などの一場面が連想される。近未来の全体主義国家で、反政府的な言動をした国民が夜中に警察に拉致されるシーンが。そういえば「サークル・ゲーム」を主題歌にした映画『いちご白書』(70年)は、ベトナム戦争に反対して座り込みをする学生たちが突入した機動隊に暴行される阿鼻叫喚の地獄絵図で終わる。
「失くしてから初めて大事だったと気づくもの」は自然だけじゃない。自由もまた同じだ。