『サーティーン』を観ると『エクソシスト』がよくわかる。

TomoMachi2005-03-05

「実は『エクソシスト』という映画は少女に悪魔が取り付く話だから大ヒットしたのではない」と看破したのはたしかスティーブン・キングだった。
本当は、それまで可愛かった娘が、思春期(12歳)になった途端、汚い言葉を吐き、親に暴力をふるい、セックスをし、自傷行為に及ぶようになる、という親の恐怖を描いていたから、あれほどヒットしたのだと。


その理論を証明したのは日本映画『積木くずし』(83年)だった。
俳優・穂積隆信の娘さんが13歳になって不良化した体験を書いた手記が原作だが、
斉藤光正監督は、これをまったく『エクソシスト』と同じタッチで、というかオカルト抜きの『エクソシスト』として映画化したのだ。


2003年、穂積さんの娘さんが亡くなった8月18日、奇しくもアメリカで、『サーティーン』という映画が公開されていた。これも13歳で不良化した少女の「実話」の映画化だが、やはり『エクソシスト』そっくりだった。
この三本の映画を見比べると『エクソシスト』という映画の正体がよくわかる。


監督は『バニラ・スカイ』の美術監督キャサリン・ハードウィック
彼女は、『マイノリティ・リポート』の美術監督セス・リードと交際している時、彼の離婚した妻の娘ニッキーと知り合った。ニッキーは当時13歳だったが窃盗、飲酒、セックス、ドラッグと非行のフルコースをひた走っていた。
キャサリンはニッキーと親しくなり、彼女の悩みを聞いているうちに、それが映画の原作へと発展していった。


『サーティーン』のヒロインはトレイシー(エヴァン・R・ウッド)、シングルマザーの母親(ホリー・ハンター)と仲良く暮らす清純な娘だったが、中学一年生の時、不良少女イーヴィー(原作者ニッキーが演じる)に憧れ、彼女に認められるために万引きをしてからジェットコースターのように落ちていく。


母が助けを求めてもハリウッドの美術監督の父親は忙しがって役に立たない。
トレイシーはたった数カ月でトレイシーはドラッグ中毒と厚化粧、ピアスとタトゥーで、まさに『エクソシスト』のリーガンのような姿に変わり果て、ついには母親に暴力をふるう。
それをハードウィックは粒子の荒れた手持ちカメラの画面で殺伐と描き出す。


エクソシスト』と『積木くずし』と『サーティーン』は見れば見るほどそっくりだ。
まず三つとも親が映画関係者である(『エクソシスト』の母は女優、『積木くずし』の父は俳優、『サーティーン』の父はハリウッドの美術監督)。
三つとも不良行為は一種の自傷行為である。リーガンが十字架を自分の股間に突き立てるように、ピアスをしたり根性焼きをしたりリストカットしたり行きずりのセックスをする。これは無意識のSOS、言葉にならない悲鳴だ。実際、リーガンのお腹には「HELP ME」というミミズ腫れが浮かび上がる。


しかし、そのSOSを受け止める余裕が親にはない。
三作品とも離婚家庭、ないし父親が不在に近い。
エクソシスト』のリーガンは悪魔に乗り移られる前に「キャプテン・ハウディ」という名のこっくりさんと話しているが、実は父親の名前がハーディである。最初に殺されるのは母親に言い寄っていた映画監督である。そして悪魔祓いに来るのは父なる神の僕、「神父」たちだ。
積木くずし』では役立たずの父の代わりに心理鑑別師が雇われてエクソシストのように事態を解決する。
しかし、この『サーティーン』に神父は登場しない。
実際に、ニッキーを救ったのはキャサリンと共に、この映画のストーリーを練ることだった。それによって彼女は自分を客体化し、更生することができたのだそうだ。


原作者のニッキー自身が演じる少女イーヴィーは、友情や大人の優しさを巧みに利用し、悪魔の代わりにヒロインを悪に引きずり込む。
イーヴィーという役名は当然、イーヴル(邪悪)を思わせる。


ヒロインは誰彼かまわずセックスするが、別に男が好きなのではなく、隣で同じように男に抱かれているイーヴィーへの友情の証として「二人並んで」男に犯されるのだ。このへん、手を繋いでトイレに行ったりする少女の友情独特のものかもしれない。


この映画は娘を持つ親にとっては『エクソシスト』以来の究極のホラーだ。


ちなみに『エクソシスト』の原作者ブラッデイはカソリックなので悪魔祓いを信じて書いているが、監督のフリードキン(ユダヤ系だが無宗教)は神を信じていないので、映画の中では一切、神の力は顕在していない。