ホース・ウィスパラーのドキュメンタリー「BUCK」について


本日発売の月刊サイゾーに、「モンタナの風に抱かれて」で技術アドバイザーを務めたホース・ウィスパラー(馬と話せる男)のドキュメンタリー『BUCK』について書きました。

ロバート・レッドフォード監督・主演n『モンタナの風に抱かれて』(98年)という映画がある。乗馬を愛する13歳の少女が馬と一緒に交通事故に巻き込まれる。少女は片足を切断し、心を閉じてしまう。馬も事故のショックで制御不能な暴れ馬となる。少女の親は、馬の薬殺を検討するが、そんなことをしたら娘の心も永遠に死んでしまうだろう。
 悩んだ親はホース・ウィスパラーという職業の存在を知る。馬とコミュニケーションし、その心を開くプロだ。彼の住むモンタナで馬の治療が始まる。それは少女を癒す日々でもあった。
 この映画でロバート・レッドフォードの顧問を務めた本物のホース・ウィスパラー、バック・バラナマンを追った『バック』というドキュメンタリー映画が作られた。バックBUCKとは暴れ馬が乗り手を振り落とすことを言う。やたらとBUCKしていた馬がバラナマンにかかると、大人しく人を乗せてギャロップするようになることから、このニックネームがついた。ワイオミングに住むバック(49歳)は、暴れ馬を癒すためなら、全米どこにでも出張する。
 昔から、ムスタング(野生馬)の調教はカウボーイの仕事の一つだった。野生馬の鞍付けを「ブレイクする」と言う。ブレイクを記録した古い白黒フィルムを見ると、抗う馬をロープで引き回し、絶え間なく鞭で叩いている。それはまさに馬の心をブレイクする(へし折る)行為だ。
 ところがバックはロープも鞭も使わない。毛布で馬の背中を温め、マッサージしてリラックスさせ、匂いをかがせ、鼻に鼻をこすりつけて馬と同じやり方でコミュニケーションする。
 そして、小さな旗がついた棒を2本使って方向を誘導する。手綱を使うときもバックは決して引っ張らない。行きたい方向、曲がりたい方向に一瞬力を入れるだけだ。
 ウイスパラーといっても実際に馬の耳に囁くわけではない。バックは優しく静かに馬に話し続ける。馬語ではなくて英語だが、バックが「右」と言えば馬は右足、「左」と言えば左足をちゃんとステップする。ちゃんと言葉が通じているようだ。
「馬は奴隷ではない。従わせるのではなく、協力させるのだ」とバックは言う。白人のカウボーイは力と恐怖で馬を屈服させるが、その前の時代の、バケーロというメキシコ系の牧童たちは、野生馬の群れがリーダーの馬に従う習性を利用して馬のリーダーシップを取っていたという。それを1980年代にドーランス兄弟がメソッド化して「ナチュラル・ホースマンシップ」と呼んだ。この調教法は現在、世界的に広がり続けている。バックはドーランス兄弟の孫弟子にあたる。
 しかし、なぜバックは「ナチュラル・ホースマンシップ」に惹かれていったのか。映画は彼の幼年期へと遡っていく。バックは幼い頃、有名人だった。3歳の頃から兄とともに、カウボーイだった父によって投げ縄の曲芸師として技を仕込まれ、ロデオ・ショーやテレビに出演した。CMにも出演した。しかし父親は、ベルトや鞭で息子たちを折檻して技を覚えさせた。母が死んでから、父の酒乱と暴力はどんどん酷くなった。ある日、小学校の体育の先生がバックの体中に残る傷跡を発見し、警察に通報した。バックとその兄は父のもとから救出され、里親に引き取られた。里親夫婦は、バックのように親に虐待された子供たちを沢山引き取り、彼らの傷を癒していた。
 傷ついて閉じてしまったバックの心を、里親は無理に開こうとしなかった。ただ、黙って、馬の蹄鉄の付け方を教えた。馬が喜ぶように蹄を手入れして、ぴったりした蹄鉄を付けてやるうちにバックも少しずつ癒されていった。それが、荒ぶる馬を鎮める技術に興味を持つきっかけだった。
「私の仕事は、馬の扱いに困っている人を救うことだが、たいていの場合、人に傷つけられた馬を救うことになる」
 現在の暴れ馬は野生ではないので、飼い主の扱い方に原因があることが多い。暴力的に扱えば、馬も暴力的になる。
『バック』は馬の調教以外のことを何も語らない映画だが、観ているほうは様々なことを考えてしまう。子育てはもちろんのこと、人間関係全般から企業経営や政治まで。80年代、元カウボーイ俳優のレーガン大統領は軍事力で途上国を従わせようとして「カウボーイ外交」と呼ばれた。イラクに攻め込んだブッシュもカウボーイのイメージを自ら演出していた。そしてアメリカは中東や中南米軍事独裁政権を長年支援してきた。そういう力による支配が結果として何を生んだか。
 バックは映画の最後に言う。「馬はそれを飼う人を映す鏡だ。でも、人はその鏡を見たがらない」