現在、公開中のアカデミー賞作品『ノーカントリー』の劇場用パンフレットにコーエン兄弟とトミー・リー・ジョーンズのインタビューを書いています。
さて、『ノーカントリー』を観た人ならいくつかの疑問があるでしょう。
特にNo Country for Old Menというタイトルの意味と、
ラストのトミー・リー・ジョーンズが語る夢の意味は気になるでしょう。
今日はそれについてちょっとお話します。
警告! もちろんネタバレになっています。
No Country for Old Menは、アイルランドの詩人W・B・イェイツ(1865〜1939年)の詩「ビザンチウムへの船出」の冒頭の引用です。こんなふうに続きます。
それは老いたる者たちの国ではない。
恋人の腕に抱かれし若者たち
樹上の鳥たち
その唄と共に、死に行く世代たち、
鮭が遡る滝も、鯖にあふれた海も、
魚も、肉も、鶏も、長き夏を神に委ね
命を得たものは皆、生まれ、また死ぬのだ。
「それは老いた者のための国ではない」と書かれた「それ」とは、老いや死が避けられないこの現実を意味している。
イェイツは近代科学主義に席捲される19世紀末から20世紀初めのヨーロッパで、
時代に反抗するように神秘とロマン、想像、夢の力を歌った詩人。
「ビザンチウムへの船出」のビザンチウムは現在のイスタンブールのことで、
芸術の都と呼ばれていたビザンチウムに、イェイツは、老いや死を超えて永遠に生きる芸術のユートピアを象徴させている。
芸術や想像の力で、人は老いても、死んでも永遠に行き続けることができる、というイェイツのロマンが謳われている。
ということはつまり、「ビザンチウムへの船出」とは、無情な現実の生の彼方、つまり死への旅立ちを夢想した詩でもある。
タイトルがイェイツの詩だとすれば、結末のトミー・リー・ジョーンズの夢も、生と死を象徴した有名な詩を暗示していると思えてくる。
コーマック・マッカーシーの原作「血と暴力の国」(黒原敏行氏・訳)から引用しよう。
「(前略)親父の夢を二回見た。(略)二回目のはまるで二人とも昔に戻ったみたいな夢でおれは馬に乗って山の中を進んでいた。山の中の細い道だ。寒くて地面には雪が積もっていたが馬に乗った親父はおれを追い越してどんどん先へ行くんだ。なんにも言わずにね。(略)その夢の中でおれは親父が先に行ってどこか真っ暗な寒い場所で焚き火をするつもりでいていつかおれがたどり着いたらそこに親父がいるはずだってことがわかった」
メキシコ国境近くのテキサスに、雪の降る山道なんてあるのだろうか? と考える人もいるだろう。
実は、雪の山道を馬で進む情景からアメリカ人が真っ先に連想するのは、アメリカ人に最も愛された詩人ロバート・フロスト(1874〜1963年)の最も有名な詩「雪の夕べ、森のそばに佇みて Stopping by Woods on a Snowy Evening」なのだ。
その森が誰のものか私は知っている
彼の家は村の中にあるけれど
彼には見えるだろう
ここで佇んで、雪に覆われた森を見ている私が
私の小さな馬は奇妙に思っているに違いない
今年いちばんの暗い夕べに
近くに農家もない
森と凍った湖の間に立ち止まったのを
私の馬は馬具の鈴をひと鳴らしして
何かの間違いでは、と尋ねる
その他に聴こえるのは
おだやかな風と、舞い散る雪の片だけ
森は愛おしく、暗く、深い
でも、私には約束がある
眠るまでにあと数マイルある
眠るまでにあと数マイルある
この詩における「彼」とは神だと解釈されている。
語り手を魅了する「愛おしく、暗く、深い」「彼の森」とは死の世界だ。
この辛い現実のなかで、人は時に生きるのに疲れて、安らぎに満ちた眠り、死に惹かれてしまう。
しかし、その誘惑に耐えながら、歩み続けなければ、生き続けなければならない。
それが人間の約束だから。
トミー・リーの夢で、とうに死んだ父親が先に着いて待っている場所とはあの世で、
彼が歩み続ける雪の山道とはこの人生であることは言うまでもない。
マッカーシーはタイトルとこの結末で、イェイツとフロストという同時代の二大詩人を共鳴させたのではないだろうか。