今、発売中の季刊Kotobaに007スカイフォールについて書きました。
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2012/12/06
- メディア: 雑誌
- 購入: 6人 クリック: 227回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
23作目の007、『スカイフォール』が公開された。このタイトルはジェームズ・ボンドが子どもの頃をすごしたスコットランドの邸宅の名前だが、Sky falls(天が落ちる)には「世界の終わり」という意味がある。これはおそらく古代ローマの格言「天墜つるとも、正義を成就せしめよ」Fiat justitia, ruat caelumからとられたものだろう。
「たとえ自らが滅ぶような事態でも正義だけは果たさなければならない」という意味で、法の執行の理念として引用される。たとえばその判決が体制を揺るがすようなものであっても、法に反しているかどうかで裁くべきだ、ということだ。
これは通常、英語では Let justice be done though the heavens fall.と訳される。「天国が落ちても」ということになっているが、ラテン語の原文のcaelumは「空」と「天国」の両方を指す。古代ローマでは区別がなかったのだろう。だからDo Justice and Let the Sky Fallなどと英訳される時もある。
『スカイフォール』では、まさに天が落ちるような事態がMI6(英国諜報部)を襲う。ボンドの上司M(ジュディ・ディンチ)のノートPCが盗まれ、内部のハード・ディスクがサイバー・テロリスト、シルヴァ(ハビエル・バルデム)の手に渡ってしまう。彼はMI6本部のコンピュータに侵入し、世界各国に潜入させたエージェントの名前を公表、彼らの命が失われる。Mは英国議会で責任を問われることになるが、公聴会に向かう彼女の胸中で暗誦されるのは、桂冠詩人アルフレッド・テニスン(1809〜1892)の無韻詩「ユリシーズ」だ。
ユリシーズは古代ギリシアの知将オデュッセウスのこと。イタケーの王だったユリシーズはトロイ戦争に従軍し、有名なトロイの木馬作戦を考案して勝利を得るが、海神ポセイドンの怒りを買ってしまい、20年間も地中海を彷徨うことになる。20年に及ぶ航海の果てにようやく母国イタケーに帰りついたユリシーズは、既に老い、臣下の英雄たちも旅の途中で死に絶えていた。
1933年、学生時代からの親友を失ったテニスンは、老いたユリシーズの老心境に自分を重ねて、この詩を詠んだ。ユリシーズは過去の戦い数々の苦難を振り返った後、この詩を新たな船出への意志で締めくくる。
君も私も老いた
しかし、老人には老人の名誉と仕事がある
死ねばすべては終わりだ
しかし、終わりが来る前に
何か気高い仕事ができるかもしれない
新世界を探すのに遅すぎることはない
たしかに多くが奪われたが
残されたものも多い
昔日、大地と天を動かした我らの力強さは既にない
だが依然として我々は我々だ
我らの英雄的な心はひとつなのだ
時の流れと運命によって疲弊はすれど
意志は今も強固だ
努力を惜しまず、探し求め、見つけ出し、決して挫けぬ意志は
これは引退を迫られているMの盟友ボンドへの呼びかけであると同時に、落日の大国イギリスの誇りと希望を代弁しているようにも聞こえる。
映画の前半で、ボンドもスパイとしては老けすぎていると宣告される。そのボンドがナショナル・ギャラリーで秘密兵器開発担当のQと会う場面がある。彼らはターナーの絵「解体のため錨泊地に向かう戦艦テメレール号」(1838年)の前に座る。ターナーは、ファイティング(戦う)テメレールと呼ばれた歴戦の名艦が老いて解体される姿に老いた我が身を重ねたと言われるが、その心情はボンドとMとテニスンの「ユリシーズ」と共鳴する。
さらにターナーはその落日の描き方で印象派に先駆けて光と空気感を写し取ろうとしているが、そのタッチは、クライマックスのスカイフォール邸でのアクションの撮影の仕方のコンセプトになっている。
こうして、老いた勇士たちの最後の戦いを経て(しかもボンドは冒頭で一回、死んでいる!)、007は蘇る。誕生期と同じ、男の上司Mと秘書マネーペニ―と共に。