American Splendor

TomoMachi2004-05-01

ワンダー・コン会場でハーヴェイ・ピーカーにインタビューする。
彼は去年のサンダンス映画祭でグランプリを受賞した映画『アメリカン・スプレンダー』の原作者であり主役だ。
http://www.americansplendormovie.com/

主役といっても主演俳優ではなく、主人公という意味だ。
アメリカン・スプレンダー』は今から約30年前の1976年に、当時37歳だったピーカーが自主製作したコミックブックのことである。
 当時のピーカーは40歳を迎えようとしていたがバツ2の独身、皿洗い一つ人並みにできない徹底的なダメ男。高校卒業後ずっと公立病院のカルテ整理係として働いてきた。
彼が暮らすオハイオ州クリーブランド五大湖の南にある工業都市で、かつては金属関係で栄えたが、1976年当時は見る影もないほど荒廃していた。ピーカーは、高校を卒業しても就職先がなく、海軍にすら「洋服ひとつきちんと畳めないほど不器用」という理由で入隊を拒否された。職業安定所の名簿に登録したピーカーはカルテ係の仕事を斡旋してもらった。それが最後の頼みの綱だった。それしか仕事がなかった
カルテ係というのは、診察に来た患者のカルテをずらっと並んだファイルから探し出し、診察が終わるとカルテをファイルに戻す、それだけの仕事。来る日も来る日も、変わり映えのない、退屈で、孤独で、発展性も創造性も昇給も出世も転職の可能性すら何もない仕事。それを黙って続けてきたピーカーの唯一の楽しみはジャズの稀少盤のコレクション。週末に近所のガレージ・セールを回って、珍しいレコードを探すことだけだった。
 ピーカーはあるガレージ・セールで、ピーカーはロバート・クラムという男に出会い、ジャズの話題で親しくなった。クラムは『フィリッツ・ザ・キャット』でヒッピーから人気を集めたアングラ・コミック・アーティストだった。ピーカーも少年時代はコミックのファンだったが、どれもスーパーヒーローが活躍する子供向け漫画だった。クラムの作品は違った。セックス、ドラッグ、バイオレンス、それに政治、人種問題。大人の世界でもタブーとされるテーマをクラムは強烈な皮肉で笑い飛ばした。
すでに薄くなった頭を撫でながらピーカーは考えた。オレだって何かを表現したい。でも、絵も描けない、楽器もできない、物語も作れない。それでも何か表現したい! ピーカーはクラムに頼んだ。「オレの原作で漫画を描いてくれないか?」
ピーカーはコミック『アメリカン・スプレンダー』を自費出版した。「アメリカの輝き」という題名は皮肉だった。なぜなら、中身はピーカーの平凡で退屈な人生を描いただけだったから。どのコマでも無愛想でしかめっつらのハゲ中年のピーカーがイライラと雪かきしたり、車の故障を直したりしながら、自分の貧乏やムカつく奴らへの不平不満をぶつぶつつぶやくだけ。
ピーカーは絵空事が嫌いだった。
「ハリウッド映画はハッピー・エンドばかり。アメリカン・コミックはヒーローものばかり。そんなの嘘っぱちだ。ハッピーエンドもなけりゃ、ヒーローにもなれない人生だってある。それこそが現実だ。オレはそれをみんなに見せてやる」。
売れるはずがなかった。
でも、ピーカーはくじけずに『アメリカン・スプレンダー』を出し続けた。クラム以外にも数々のコミック・アーティストを雇って絵を描かせた。それからさらに十年以上経った。いつの間にか『アメリカン・スプレンダー』は、「商品には決してならない平凡なアメリカ人の姿を、まったく誇張や娯楽化せずに描いた稀有な文学」として評価されるようになった。ダークホースというアングラ・コミック出版社が『アメリカン・スプレンダー』の販売を引き受けてくれた。
 その間にコミックショップの店員でピーカーのファンでもあった女性と結婚できた。ピーカーはリンパ腺ガンと宣告されたが、化学療法でそれを克服、闘病生活をコミックに描いて、批評家から絶賛された。ダニエルという養女ももらい、あきらめていた家族まで手に入れた。
それでもピーカーは豊かにはならなかった(何しろ『アメリカン・スプレンダー』は一冊4ドル以下で数千部しか売れてないのだ)。カルテ整理の仕事を35年間も続けるしかなかった。ずっと同じ汚くて狭いアパートからも出られなかった。
それでも映画になった『アメリカン・スプレンダー』は批評家から絶賛され、インディーズとしては大ヒットになった。ポール・ジアマッティ扮するピーカーの負け犬中年ぶりを見て観客は爆笑した。しかし友人と家族に囲まれる本物のピーカーを見てすべての観客の頬を涙がつたった。
このインタビューの後、ピーカーは、日本をはじめ、オーストラリア、ヨーロッパ各国を回る世界一周ツアーに出発する。映画『アメリカン・スプレンダー』のスターとして。
63年かかったけど、彼はヒーローになった。アメリカの輝きをつかんだのだ。