TomoMachi2004-03-26

TBSラジオの「ストリーム」という番組にレギュラー出演することになった。
週一回、国際電話でアメリカの事情を話すのだが、午後2時の放送なので会社勤めの人は聴きにくい時間帯。
生放送なのが心配だが。

ラジオといえば、去年、アメリカのNHKにあたるNPR(公共放送)に出演した。
http://www.animenewsnetwork.com/article.php?id=3809
番組のトピックはANIME(日本のアニメのこと)。筆者は日本のアニメ・ブームをリアルタイムで見てきた世代としてスタジオに呼ばれて、英米のアニメ評論家と討論した。参加者は“Anime Explosion”の著者でシカゴ在住のパトリック・ドレイゼン、“Hayao Miyazaki”の著者でロンドン在住のヘレン・マッカーシー。それにリスナーの電話にも答えた。


話が始まってすぐ、彼らとの間に深いギャップがあるのに気づいた。たとえばアナウンサーに「日本のアニメはセックスとバイオレンス描写が強烈ですが」と質問をふられると『AKIRA』や『パーフェクト・ブルー』それにHentai(エロ・アニメ)の話にいってしまう。
そして「こういうセックスや暴力描写が多いのは、日本でのアニメのファンの年齢が高いからですね」とか「これは最近の傾向ですね」みたいなことを言われた。

それは違う。今から30年も前、小学一年生のオイラたちは家族で晩御飯食べながら手塚治虫性教育アニメ『ふしぎなメルモ』を観て、『どろろ』や『ルパン三世』や『海のトリトン』にトラウマを受けて育ったんだ!


でも、たった一時間の番組ではとても説明しきれなかった。
なにしろ70年代のアニメはほとんどアメリカでは見られていないからだ。
わずかに“Starblazer(宇宙戦艦ヤマト)”と“Battle of the Planets(科学忍者隊ガッチャマン)”が日本製であることを隠して放送されただけで、85年の“Robotech(超時空要塞マクロス)”のブームまでアメリカ人はAnimeを知らなかった。


しかし「作品としてのアニメ」の黄金時代は70年代だと思う。
当時の作家たちがセックスと暴力を描いたのは客が喜ぶからじゃない。
それが作り手がつきつめて論じたい、訴えたいテーマだったからだ。
アニメや特撮番組を見るのは子供だけだった時代に、彼らは大人の映画やドラマより凄まじいリアリティをブラウン管に叩きつけていたのだ。
しかし80年代に入り、「おたく」と総称される青年市場が発見されると、アニメは「作品」から「製品」へと産業化され、セックスも暴力もエンターテインメント、ただのサービスになった(同じことは映画やマンガにも言える)……。
てな話は日本のオタクにとっては耳タコだろうが、アメリカ人はまるで知らない。なにしろ『ガンダム』といえば『W』だと思ってる連中だから。
こりゃ、何とか伝道してやらねばなるまい。
『ヤマト』劇場版の初日に徹夜で並んだ中学生としては。


とりあえずアメリカのアニメ雑誌の老舗“Animerica”に『海のトリトン』『ザンボット3』について書いた。
以降、『空飛ぶゆうれい船』『ガイスラッガー』などアメリカでまったく知られていない作品について書いていく予定。


オイラが『どろろ』と『ふしぎなメルモ』について英語で書いた文章はWebでも読めます。
http://www.pulp-mag.com/archives/6.02/sexandviolence.shtml