1980年、最初の仕事

アニメのことを書いたのでいろいろ思い出したので忘れないうちに書いておこう。

オイラが生まれて初めてプロとして仕事をしたのは、たしかマンガ雑誌の欄外一行知識だった。
1980年、『ガンダム』の一年戦争が終わった年、大学一年生で当時18歳のオイラは、早大漫研の先輩だった吉岡平氏に、編プロのスタジオ・ハードに推薦してもらったのだ。スタジオ・ハードは当時、マンションの一室だけだった。
創刊したばかりの「ヤンマガ」、それに白泉社の「少年ジェッツ」なんかの欄外をしばらく書いていた(「ラブシンクロイド」連載中)。もちろん原稿用紙に鉛筆で。
しかし、何を書いたかまるで思い出せない。

誰か持ってる人いませんか?
(当時のバイクはスタジオ・ハードに借りたCB50)。


その後、学研の「アニメディア」という雑誌で毎月、特集記事のアンカーをやることになった。
ちなみにその仕事を紹介してくれた池野氏はその後、小川範子のマネージャーだか何にかになった。
毎月「ロボット」とか「魔女っ子」というお題で、4ページくらい、いろんなアニメの分析・研究をするというページだ。
これは、入稿日の前日に呼び出されて学研に行き、他の人が集めたデータ原稿を渡されて、それをレイアウトに入るように、起承転結のある文章に書き直す作業。
だいたい夕方呼ばれて朝までに終わらせる。
それまで何を書くのか知らされていない。
編集部の人に何度も何度もリテイクを食らった。
これでかなり、雑誌的原稿の基本を叩き込まれた。
でも、何を書いたのかまるで覚えていない。
誰か当時の「アニメディア」持ってる人いませんか?
この仕事は82年にバイクで事故って入院するまで続けた。


その後、秋田書店の渡辺さんから、『マイ・アニメ』で毎月2ページ、映画コーナーを任された。
取材・構成・執筆・イラストまで一人でやったが、これが最初の映画の仕事だと思う。
(この頃、ホンダVT250Fを新車で購入。事故ですぐ廃車)。
アニメ誌なのに『スカーフェイス』とか『逆噴射家族』とか、
まあ、今も好きな映画ばかりイラスト付で紹介していた。
これは大学4年までやっていた。
ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』を見開き大特集したので覚えている人もいるかも。


それと並行して、双葉社の100てんランドアニメコレクション「ルパン三世」上下巻の編集と執筆を一人でほとんどやって、
http://www.cnet-ga.ne.jp/oumi-ya/Lupin/Book/67633-33.html
ケイブンシャの大百科シリーズを6冊くらい作るのだが、そのへんは別の機会に。

とにかく80年というのはオタク・カルチャーの節目で、その後アニメ雑誌マンガ雑誌が大量に創刊され、オタクな仕事の場がいっぱい生まれたというわけだ。