TomoMachi2004-02-27

(昨日の続き)
メル・ギブソンローマ法王が「真実」、もしくは「真実に最も近い」と言う『パッション』。
だが、実際には、「真実に近い」のではなく「カソリックの伝統」に近いだけなのだ。


なにしろ、いちばんの売りである磔刑シーンからして間違っている。
キリストの掌を釘で十字架に固定するシーンの撮影ではメルギブ監督自ら釘を持って打ち付ける演出をしているが、とんでもない。
ちょっと考えればわかるはずだが、掌では、体重がかかったら掌が裂けて釘が抜けてしまうのだ。
だから実際に磔刑では抜けないように手首の付け根、ちょうど脈をとるあたりに釘を打つ。


もうひとつは十字架を背負って歩かされるシーン。
これはご存知の方も多いと思うが、実際運ばされるのは横棒の部分だけだ。
なぜなら縦の棒の部分はあらかじめ刑場に立っているからだ。


つまり『パッション』は最大の売りである磔刑シーンが、中世から19世紀までのカソリック教会の十字架や絵画に忠実なだけの、古臭く、今までのキリスト映画から一歩も進歩のない描写なのだ。


ここまで「実際は」と書いたのは、現在、聖書をめぐる科学的、考古学的研究は猛スピードで進んでいて、かなり、カソリック教会で信じられてきたのとは違う「真実」が学会で発表されてきているからだ。
たとえば上記の釘と横棒については以下のサイトに詳しい図版がある。
http://www.frugalsites.net/jesus/crucifixion.htm


『パッション』はこうした現代最先端の聖書研究に目もくれず、カソリック教会の伝統的な教えに従っている。メルギブは原理主義カソリック(ヘンな言葉だ。本来原理主義カソリックとはプロテスタントのことだ)なので、カソリックから外れて科学者の発表に従うことなどできないからだ。


しかし、『パッション』はアラム語をしゃべらせ、特殊メイクをリアルにすることで、あたかもこの映画自体がリアルであるかのような錯覚を与える。
これはトリックにすぎない。
根本的なところで、古臭いキリスト映画と何も変わらない。
ジム・カヴィーゼルというスイス系の俳優が演じるキリストの顔を見ればわかる。


こいつ白人じゃん。
紀元0年前後のイスラエルに白人がいるか?
ゲルマン民族が北欧から南下してくるのはキリスト処刑の300年も後なのだ。
この当時、イスラエルにいた人々は白人は見たことすらなかったのだ。
ちなみに支配していたローマ人は「白人」ではない。
ポンペイの遺跡の絵などを見ればわかるように、ローマ人は黒い縮れ髪に黒い目、浅黒い肌の人々である。
ちなみに科学専門ケーブルTVのディスカバリー・チャンネルでは、
イスラエルで発掘されたキリスト処刑当時の現地住民の遺骨を復元し、
そこから当時のイスラエル人の典型的な顔を再現した。それが、ここに掲げた写真。
どう見ても「白人」ではなく、いわゆる中東人の顔である。
イスラエルは中東なんだから当たり前だ。
スピルバーグユダヤ人だが『プリンス・オブ・エジプト』でイスラエルの民を褐色の肌と厚い唇の中東人として描いた。これは聖書の描写に忠実に従っただけだが、ハリウッド映画というかユダヤ系の作った映画としては画期的で勇気ある試みだった。
なぜなら、本当のモーゼは今のユダヤ人よりも、イスラエルで弾圧されているパレスチナ人に似ていたのだから。


もちろん日本人が英語でシェイクスピアを演じるように、ナニ人がキリストを演じても別にかまわないが、
それをローマ法王やメルギブが「リアル」「真実」と強調するのは問題だろ。
しょせん大映が本郷功二郎や勝新で撮った『釈迦』と似たようなレベルの映画なのだ。


ローマは後にキリスト教を国教とし、白人(ゲルマン)に乗っ取られて神聖ローマ帝国になった。
そしてローマ帝国キリスト教徒をライオンに食わせたりして虐殺していた事実は棚に上げ、
キリストがユダヤ人であり、ユダヤ教から出発した事実も、
ローマン・カソリックの精神的始祖である聖パウロもまたユダヤ人であった事実をも無視して、ユダヤを弾圧してきた。
それはつまり白人によるキリスト教の簒奪であり、『パッション』はその行為の一環でしかない。


しかし、「ユダヤ人がキリスト(ユダヤ人)を殺させた(実際にやったのはローマ人)」ということを理由にゲルマン人ユダヤ人を弾圧したのは、
「黒人がマルコムXを殺した」という理由で白人が黒人を弾圧するような、実にアホきわまりないことである。