『マシニスト』クリスチャン・ベールにインタビュー


役のために太る俳優は多い。『アンタッチャブルズ』のロバート・デ・ニーロ、『ブリジット・ジョーンズ』のレニー・ゼルウィガー、『パーフェクト・カップル』のジョン・トラボルタ、『NARC』のレイ・リオッタ。役のために筋肉をつける俳優も多い。『ケープ・フィアー』のロバート・デニーロ(またかよ)、『GIジェーン』のデミ・ムーア、『スパイダーマン』のトビー・マクガイア。『アメリカン・サイコ』のクリスチャン・ベイルもナルシストの証券マンを演じるため、ギリシャ彫刻のように鍛え上げた。
そのベイルが今度は『マシニスト』で、体重を約30キロ落としてアウシュビッツ収容所のユダヤ人並に痩せ細った。彼が冒頭で鶏ガラのマネをするシーンは、SFXや特殊メイクに慣れた観客をも戦慄させる本物の迫力だ。
13歳でスピルバーグの『太陽の帝国』(87年)でJ・G・バラードの少年時代を演じたベイルは、記者会見のプレッシャーに絶えられずに泣き出してしまったというが、その後は俳優として果敢な挑戦を続けている。特に『アメリカン・サイコ』(00年)は、フェミニストからの激しい抗議を見てディカプリオが出演を降りた殺人鬼ベイトマン役を引き受けて絶賛された(ちなみにベイルの継母はフェミニスト運動の導師グロリア・スタイネム)。
それにしても『マシニスト』の痩せ方は常軌を逸している。そもそもこれは不眠症の男の物語であって、拒食症の話ではないのだ。
「スタッフから痩せてくれという依頼はなかったですね。『マシニスト』の脚本にはガリガリに痩せているという説明はあったけど、脚本家はメイクかCGか何かでやると考えていたらしい。でも、僕は撮影前に準備しているうちに、この主人公は死に近づいているんだと思った。だから普通に不健康そうなだけじゃダメだ。それこそ骸骨みたいになる必要があると思ったわけです。これは完全に僕が勝手にやったことだから、撮影直前に監督のブラッド・アンダーソンに会ったら、僕の激ヤセぶりにびっくりしてた(笑)」
――別に肥満でもないのに体重を30%も落とすというのは危険すぎるのでは?
「そりゃ、もちろん反対されましたよ。バカじゃないの、死ぬ気かよ、とか言われてね。家族や仕事仲間から。特にカミさんは、日々やせ細って行く僕を見て本当に心配してくれた。でも、ちゃんと事前に栄養士に相談して、注意すべきことや、最低限必要な栄養素などは確認してたし、減量中も定期的に医者のチェックを受け続けました」
――具体的な減量の方法は?
「とにかく絶食しただけ。僕はもともと牛肉や豚肉は食べないんですが、食事を野菜とツナ缶だけにして、だんだんと減らしていった。何か食べたくなったら、よし、この本を読み終えるまで我慢しよう、とか、7時になってからにしよう、とか、タバコを一服吸ってからにしよう、とか決めて、食べることを遠ざけていく。そのうちにリンゴとコーヒーだけで平気になってました」
――減量期間は?
「撮影までの半年間。絶食したのは4カ月かな」
 栄養失調にはならなかった?
「いや。それは注意してましたから。検査も受け続けたし。ただ、最初はバカげたことに減量のためにランニングしてたんだけど、空腹で動けなくなった(笑)」
――それでは他の仕事ができないのでは?
「できるわけないです(笑)。この半年間は『マシニスト』の役作りだけに専念して、他の仕事は一切受けなかった。カフェやレストランにも行かないようにしたし。他の人が食べてる姿が目に入ったり、いい匂いがしてくるから。仕事の打ち合わせも一切なし。友達ともほとんど会わずに、家に引きこもりの半年でした」
――でも、イギリス人としてはパブが恋しかったでしょう?
「ギネスがね(笑)。ほんの少しだけウィスキーは飲みました。それが唯一の楽しみかな。でも、絶食と言ってもたかが四ヶ月ですよ。もし、この試練に耐えられなかったら僕は自分に失望したと思う。僕は自分の限界に挑戦するのが好きなんですよ。どこまで行けるのか、知りたいのかな」
――『アメリカン・サイコ』の時は、全身筋肉の塊のように鍛え上げたけど、肉体改造が好き?
「全然。僕は『アメリカン・サイコ』までジムなんか行ったこともなかった。普段はパブでまったりしてるほうが好きだから。あれも役作りのためだけですよ」
――しかし、凄まじい意志の力だね。普通はちょっと腹が減るだけでイライラするのに。
「確かに絶食しはじめたときは僕もそうでしたよ。四六時中イラついてたし、気分が不安定で、他人のちょっとしたことにムカムカしたり。でも、ある一線を越えたら体がそれに順応した。胃袋が小さくなって、食欲がなくなる。そうするとカロリーが足りないから、イライラしなくなる、というか、感情の起伏がなくなる。激昂することが不可能になる。そうなってしまえば心は安らかですよ」
――仏教の僧が断食して悟りを開くのと似てるね。
「その通り。禅のマスターみたいに、悟りの境地(笑)。たとえばまったく何もせずに二時間じっと座っていることができるようになった。一種の瞑想状態ですね。エネルギーがないから体は動かないけど、精神は逆に研ぎ澄まされる」
――頼まれないのに、そこまで自分を追い詰めたのはなぜ?
「まずシナリオが気に入ったということ。オリジナリティがある。それにブラッド・アンダーソン監督の『ワンダーランド駅で』や『セッション9』を観て、彼を信頼した。あと、僕はこの前の数本の映画はあまりいい選択ではなかったと後悔していて、役者として勝負を賭ける必要を感じてたんです」
――保健会社は何も言わなかった?
「(笑)映画には一本ごとに保健会社がつくんですよ。撮影中に起こった俳優の病気や怪我による損害を保障するためにね。だから『マシニスト』でも、撮影前に保健用にロケ現場のスペインで医者のチェックを受けた。撮影前に体に問題がないかどうかね。その医者が大変なヘヴィースモーカーでね。誰か彼の健康をチェックしてやれよっての(笑)。僕はもう減量して骨と皮みたいになって診察に行ったのに、その医者はなぜか『どうしてそんなに痩せてるのか?』って尋ねないんですよ。その代わりに聞いてきたのは『映画でナイフが人に刺さるシーンはどうやって撮影するの?』って質問。だから、『刃が引っ込むナイフがあって、血糊を……』って説明して、それで診察終わり(笑)」
――『マシニスト』は全編スペインのバルセロナで撮影している。舞台はアメリカという設定で、セリフは全部英語。車のナンバーをカリフォルニア・ナンバーに取り替えて。スペインでロケした理由は?
「出資元がスペインだったのと、主人公の設定がマシニスト(機械工)だから。アメリカの機械工場はほとんどコンピュータ化されていて、この映画で描かれるような手作業をしている工場が見つからなかったんです。でも、スペインでアメリカの風景を撮ることで、不眠症で憔悴しきった主人公の視点から見た非現実的な感覚がうまく出たと思います。あと、スペインのスタッフは、脚本と監督に忠実に映像を作ろうとしてくれる。それが一番良かったですね」
――ハリウッドは現場のスタッフがみんな自己主張するからね。主人公が機械工であることの物語上の理由について脚本家や監督と話し合った?
「脚本家のスコット・コーサーが『マシニスト』を書いたのは、街外れの淋しい場所で夜中の二時に機械工場の前を通りかかって、機械工の人たちが働いているのを見たことがきっかけだそうです。危険だけど単調で、孤独な作業。職場に人はいっぱいいるんだけど、金属を削るものすごい音で会話はかき消されてしまうから、みんな黙々と働き続けている。そこから脚本家の想像が膨らんでいった。コーサ自身も機械工として働いた経験があるらしい。主人公のトレヴァーは、不眠症に苦しむうちにだんだんとゾンビ化していって、彼自身がマシンみたいになっていく。見た目もね」
――主人公が痩せた原因は不眠症だけど、不眠症の体験は?
「僕自身は眠るの大好きなんです(笑)。昔、三日くらい眠れないことがあったら、それだけで現実感覚がおかしくなって。でも、絶食してからは眠れないんじゃなくて、眠らなくても平気になった。撮影期間の二ヶ月間は、毎晩二時間しか眠れなかった。ベッドに横になったまま、熟睡できない。エネルギーがなくなったぶん、昼間もほとんど動かないから疲れないのが原因でしょう」
――『マシニスト』の中では警察から追われて全速力で走って逃げるシーンがあるけど。
「(笑)あの撮影は地獄だった。本当に死にそうになって。エネルギーがゼロだから2テイクが限界で、それ以上は全然動けない。リハーサルで走ると本番で走れなくなるから、リハはスタンドインにやってもらうしかなくて。ジェニファー・ジェイソン・リーに殴られるシーンも、こっちは体力が落ちてフラフラだからかなり効いた(笑)」
――トレヴァーが毎日単調な仕事の繰り返しと、孤独なアパート暮らしでだんだんと狂気に取りつかれていく姿を見ていて、『タクシー・ドライバー』のロバート・デニーロを思い出した。
「それはうれしいな。でも『タクシー・ドライバー』のことは考えなかったなあ。監督から参考として観るように言われたのはロマン・ポランスキーの『テナント』です」
――ああ、ポランスキー自身が演じる孤独な男がアパートの他の住人を疑いはじめて、疑心暗鬼に陥るホラー映画。
トレヴァーは、一年も眠っていないせいで、だんだん現実感を失っていく。そして白昼夢を見る。起きたまま夢を見ている状態、夢と現実の区別がつかない状態。そして彼はついに“分裂”してしまう」
――そして、謎の男アイヴァンがトレヴァーの前に現れて、彼を追い詰めていく。すべての真相は最後に明らかになるけど、映画が終わった後でも気になったのが、トレヴァーが眠れない夜にドストエフスキーの『白痴』を読む場面。あれはなぜ?
「脚本にあるんですよ。まず、ドストエフスキーを読むことで、トレヴァーを機械工のステレオタイプの無教養なブルーカラーの男にすることを避けられる。それにテーマ的にもドストエフスキーの諸作品と通じるところがある。まず、主人公の罪の意識ということでは『罪と罰』。トレヴァーのレズニックという苗字は、ナイン・インチ・ネイルズのマイク・レズニックから取ってるけど、同時に『罪と罰』のラスコーリニコフを連想させようともしているんですよ」
――たしかにジェニファー・ジェイソン・リー演じる気のいい娼婦は、『罪と罰』の清純な娼婦ソーニャみたいだ。
「ストーリー的にもドストエフスキーは『マシニスト』に影響を与えています。特に『分身』(別邦題『二重人格』)」
――ドッペルゲンガーものの中篇だ。気の弱い小役人が自分にそっくりだけど性格の正反対な男に出会い、外交的で明るい自分の分身に職場や友人を乗っ取られていく。
「あと、ドストエフスキーはトリックにもなっている。トレヴァーは毎晩ドストエフスキーを読んでるけど、実は彼の周りの人々の名前、マリアとかアイヴァンは、ドストエフスキーの小説の登場人物の名前なんだ。だから……」
――ああ! アイヴァンはイワンなんだ!
「僕も眠れなくて『白痴』はかなり読み進んだ。半分くらいだけど(笑)」
――『マシニスト』の後半、謎が解けていく怒涛の展開は『アメリカン・サイコ』にも似ている?
「たしかにパトリック・ベイトマンも現実と妄想の区別がつかなくなって分裂するキャラクターですね。違うのはトレヴァーは罪悪感を抱えた善人で、ベイトマンは確信犯だということ。この二人は非常に良く似てるけど裏表なんだ。あと、体重は落とすほうが筋肉鍛えるよりもキツかったです(笑)」。
――また絶食の話に戻ると、いちばん食べたかったものは?
「リンゴ」
――リンゴ? 好物なの?
「いや。全然。奇妙なことに今まで一度もリンゴが好きだったことはないんですよ。ところが絶食してたら、それこそ夢に見るほどリンゴが食べたくてしょうがなくなった。たぶんリンゴに含まれている何かの栄養素を体が渇望してたんじゃないかと思う。で、スペインにはいろんな種類のリンゴがあると聞いていたんでそれを集めてもらって、撮了が終わったらそれをいっきにむさぼり食った(笑)」
――スペインはリンゴより美味いものあるでしょ。
「もちろん。だから撮影が終わったら狂ったように食いまくって、けっこう太ってしまった。『マシニスト』のなかで主人公が不眠症になる前の姿として出てくるのは、実は本編の撮影が終わって二ヵ月後に追加撮影したショットですよ」
――『マシニスト』の後は『バッドマン・ビギンズ』のブルース・ウェイン役だから、また筋肉つけて。
「『アメリカン・サイコ』ほどじゃないけどね。今回の『バットマン・ビギンズ』は、ブルース・ウェインバットマンになるまでの物語ですから。フランク・ミラーが描いた『ざ・イヤー・ワン』が原作で、監督のクリストファー・ノーランとは原作に忠実にいこうと話し合いました」
――クリストファー・ノーランといえば、彼の『メメント』も『マシニスト』に似てない? ノーランの前作も『インソムニア』、不眠症の男の話だ。
「クリストファーともそんなことを話しましたよ。『メメント』は健忘症の男が自分の過去を探す話で、通じるものがある」
――それに『アメリカン・サイコ』のベイトマンって名前はバットマンに似てない?
「その通り。ベイトマンブルース・ウェインも大金持ちで、昼の顔と夜の顔に分裂したアメリカン・サイコだ。ブルースの場合は自分の中にあるダークサイドを飼いならして正義を為そうとするけれども。ブルース・ウェインという人間は社会生活をするための仮面にすぎない。彼はバットマンのマスクをつけた時、初めて彼自身になれる。そこがバットマンの面白いところだね」
――もうすぐアカデミー賞だけど『マシニスト』は主演俳優賞ノミネート確実と下馬評も高い。
「賞を狙って痩せたわけじゃないけど、やっぱり人間だから努力が評価されたらうれしいですよ」
――最近のアカデミー賞では美しい俳優があえて醜い外見になって主演女優賞を獲るパターンが続いている。ニコル・キッドマンがつけ鼻でヴァージニア・ウルフを演じたり、シャーリーズ・セロンが「モンスター」と呼ばれた連続殺人犯になったり。
「僕は自分のこと美しいなんて思ってないけど、俳優たちがタイプキャストから脱出しようとするのは理解できるな。それに役作りのためなら、どんなことでもするのが役者の仕事ですよ。僕は見かけがいいだけの二枚目役なんて全然興味ないな。冗談じゃない」
――肥満に悩んでいる人は、このインタビューを読んで自分もマネしてダイエットしてみよう、と思うかもしれないけど、何かアドバイスありますか?
「僕の減量は医者の監視を受けたし、あくまでも仕事のための一時的なもので、撮影が終わり次第すぐに止めた。だからこれを日常でマネしないで欲しい。拒食症になったりして非常に危険だから」
――「よいこのみなさんは絶対にマネしないでね」と。
「そうそう(笑)」