「『アクト・オブ・キリング』と悪の凡庸さ」町山智浩

アクト・オブ・キリング」論をパンフに書きました。

「悪の凡庸さ」と「アクト・オブ・キリング町山智浩


「わしはシドニー・ポワチエに似とるだろ?」
アクト・オブ・キリング』の主役アンワル・コンゴ氏は笑う。シドニー・ポワチエは、アンワル氏が20代だった1960年代前半、黒人で初めて主演男優賞を受賞した映画スターだった。アメリカ南部では黒人に選挙権も与えず、人種隔離法で学校もバスもレストランもトイレも白人用と黒人用に分けられていた時代に、ポワチエは『手錠のままの脱獄』(58年)などで決して差別に屈しない尊厳に満ちた黒人青年を演じた。映画のチケットを売るダフ屋だった若きアンワル氏はそれを観たはずだ。
 アンワル氏の温厚そうな顔立ちは、ネルソン・マンデラ氏にも似ている。南アフリカ共和国の人種隔離政策と戦い、平等を勝ち取った偉人だ。しかし、アンワル氏は1965年のインドネシアで千人近くを殺した虐殺者なのだ。
 アンワルら虐殺者たちは自慢げに自分のした殺人を語り、ふざけながら笑顔で演じ、虐殺の現場で踊る。それを観て思い出すのは松井稔監督の『日本鬼子〈リーベンクイズ〉日中15年戦争・元皇軍兵士の告白』(2001年)である。これは第二次世界大戦時に兵隊として中国に行った日本人たち14人が、半世紀前に自分たちがしたことを告白する様子を撮影したドキュメンタリー映画だ。
 80歳になる老人が、上等兵と共に中国の少女を強姦した思い出を語る。少女は病床にある父親をかばったので、その父親を殺し、父の遺骸にすがって泣き叫ぶ少女を犯した。そう言って老人は「でへへ」と笑うのである。
 やはり80歳の別の老人が、中国人の母親を、5歳の幼い娘の前で強姦しようとした経験を語る。母親があまり抵抗するので日本兵は彼女を井戸に突き落として殺してしまった。すると幼い娘は「お母さん、お母さん」と泣きながら母の後を追って井戸に飛び込んだ。「私は上官の命令でその井戸に手榴弾を放り込んだんです」
 日本兵の残虐行為は恥ずべき犯罪であり、アンワル氏らはインドネシアの英雄である。しかし、どちらも、いったん詳細を語り始めると、果てしなく饒舌になり、身振り手振りさえ加わり、「虐殺の再演(ルビ:アクト・オブ・キリング)」になっていくのだ。
『日本鬼子』で証言する日本兵は、中国で「戦犯管理所」に収容されたが、周恩来の「戦犯とて人間である。その人格を尊重せよ」という方針で手厚くもてなされ、6年後、何の処罰も受けずに釈放された。自らの行為を記録する「認罪書」は書かされたが、激しい断罪はされなかった。しかし、日本兵たちは自主的に自らの罪と向き合おうとした。「自主的」に文化祭を企画し、自らのやった残虐行為を演劇として上演したのだ。農夫に焼けた火かき棒を押し付けて拷問した果てに刺し殺し、その死体の横で彼の妻を強姦する。被害者の夫と妻を演じたのも日本兵だった。これもまさしく『アクト・オブ・キリング』で被害者を演じたアンワルと、被害者の妻を演じたマツコ・デラックスことヘルマンを思わせるではないか。
 同じような「虐殺の再演(ルビ:アクト・オブ・キリング)」を、『カシム・ザ・ドリーム/チャンピオンになった少年兵』(2008年)というドキュメンタリー映画でも観た。内戦のウガンダで、6歳の少年カシムは小学校を反政府軍に襲撃され、拉致されて少年兵にされる。まずい友人を殺すよう強要され、10歳になる前に数々の残虐行為を経験する。戦後、カシムはウガンダからアメリカに亡命してボクシングの世界チャンピオンになるが、少年兵時代のトラウマに苦しむ。母国に戻ったカシムは、元少年兵たちと被害者の遺族たちが共同で演じる「虐殺の再演(ルビ:アクト・オブ・キリング)」に参加し、激しく慟哭する。アンワル氏のように。
 これはいわゆるドラマセラピー(演劇療法)なのだろう。心の奥底に隠して見ないようにしてきた経験をあえて演じることでトラウマを癒す方法で、個人的な心の傷だけでなく、最近は歴史的、社会的なトラウマの克服にも応用する動きがある。たとえば、カリフォルニア州精神科医アーマンド・ヴォルカスは、HWH(歴史的トラウマの治療)と題して、ナチスによるユダヤ人虐殺、イスラエルによるパレスチナ弾圧、日本によるアジア侵略などによる民族間のわだかまりを歴史劇によって癒す方法を探求している。『アクト・オブ・キリング』のアンワル氏も「戦犯管理所」の日本兵たちも精神科医ではないが、内側から込み上げる衝動によって罪を再演した。いや、そもそも人が芝居を始めた起源は「癒し」を求めたのかもしれない。
 オッペンハイマー監督は、インドネシアで虐殺が賛美されている状況を「まるでナチス・ドイツが勝利して、ユダヤ人虐殺が正義とされているような」と表現している。『アクト・オブ・キリング』の、まったく責任を感じていない虐殺者たちを見ていて、筆者は、『スペシャリスト/自覚なき殺戮者』(99年)というドキュメンタリーも思い出した。ナチス・ドイツ親衛隊の中佐としてユダヤ人虐殺を指揮したアドルフ・アイヒマンの裁判を記録した映画だが、法廷に立つアイヒマンは決して悪魔的な人物ではなく、しょぼくれた小役人、平凡なサラリーマンにしか見えない。裁判を傍聴したユダヤ系の哲学者ハンナ・アーレントは、「自分は命令に従っただけだ」と言い訳するアイヒマンを「悪の凡庸さ」と表現した。このような普通の人こそが「歯車」として虐殺を実行する。
 遠藤周作が日本軍と九州大学医学部による米兵捕虜の生体実験を描いた小説『海と毒薬』には戦時中の残虐行為についてこんな言い訳が出てくる。
「仕方がないからねえ。あの時だってどうにも仕方がなかったのだが、これからだって自信がない。これからもおなじような境遇におかれたら僕はやはり、アレをやってしまうかも知れない。アレをねえ」
 彼もアイヒマンも歯車だ。でも、アンワル氏は最後についに自らの「殺人という行為(ルビ:アクト・オブ・キリング)」と向き合って、嘔吐した。個人として罪を背負ったアンワル氏はもはや歯車ではない。彼を解放したのは、演技であり、映画だったのだ。
アンワル氏も『日本鬼子』の日本兵たちも、みんな人の良さそうな好々爺である。実際、孫を可愛がる優しいおじいちゃんだが、幼子の前で両親を殺した人物でもあったのだ。それこそが最も恐ろしい。僕やあなたも、彼らと同じ普通の人だから。