藤原章監督『ラッパー慕情』

TomoMachi2004-03-09

チンプイこと藤原章監督の映画『ラッパー慕情』をビデオで観た。


2004年度のベストに入るだろう傑作だった。


室内シーンの撮影に失敗しているので、映画の前半は真っ暗で何が画面に映っているのかわからない。しかも編集が舌足らずなので、シーンのつなぎを想像で補わないとならない。最初の数分を観ただけで99.9999パーセントの人は見続ける気をなくすだろう。オイラもそうだった。


でも、それを乗り越えると、あとはぐいぐい映画に引きずり込まれていく。


どういう映画なのか、わかりやすく説明すれば、
古谷実の『僕といっしょ』の世界である。
藤原監督は「オレは『僕といっしょ』が書かれる十年も前からこれやってきた」と怒るだろうけど。


主人公のケンはマンガ家志望の男。30過ぎて無職で、親が経営するアパートの家賃を取り立てるだけが仕事だが、その家賃も踏み倒されている。
兄もいい年こいて老いた母親から「まーくん」と呼ばれている。
まーくんの夢は草野球でホームランを打つこと。
草野球以外に何もしていない。
父はそれが原因で自殺したらしい。
まーくんはコーラと脂っこいものばかり食べるデブで、いい年こいて冷蔵庫を開けてコーラがないと老いた母親を「コーラ切らしてるじゃん!」と怒鳴りつける。
自分が野球がヘタなのまで「母さんのせいだ」とかんしゃくを起こす。
いちばん上の兄吉男はラッパー志願で家を出ているが、無職なので時々母親に金を無心に来る。
実際にラップをやらせてみるとYO、YOと言うだけで、ヘタクソ以前の問題である。
そこにブンちゃん(井口昇)という元アイドル歌手(?)がやって来る。


脚本は別の人になっているが、これはいつもの藤原ワールドである。
吉男は、『101ドラゴン大行進』の巻頭エッセイ「空手使いと少年」に出てきたブルース・リーおたくの工員である。
「おれは○○を研究してるんだ」とか言いながら、いい年こいて無職で、世話になっている母親に当り散らす三兄弟のような人は、引きこもりやおたくをこじらせた人によくいます。
タモリ倶楽部」見た人ならわかるだろうけど、プラモデル・コレクターの血祭くんなんかそうですね。


で、他の藤原監督の映画と同じく、70年代クンフー映画が軸になっていて、最後は火山の上でケンとまーくんがブンちゃんと対決。これは「片腕ドラゴン」のラマ僧兄弟とジミー・ウォングの対決の再現。
なぜ、70年代当時クンフー映画なのか?
あの頃の香港台湾製クンフー映画の主人公は、「おれはクンフーで強くなるんだ」というだけで、30近くになるのに定職もなくフラフラしていた。
大会に出るわけでも、道場を開くわけでもない。
毎日、修行しているけど、目的はない。
メシ屋でたまたま地元のゴロツキとケンカになり、いろいろあってそいつを倒すが、倒した瞬間にTHE ENDと出て映画は唐突に終わる。
そいつの人生、どうにもならないのに。
でも、それを見ていた中学生の僕らは、何の疑問も持たなかった。
そして、主人公たちが無意味な修行をするのと同じように、
生きるために必要な勉強はほったらかしで、好きな映画やマンガやアニメの「研究」に没頭する。
そしたらいつのまにか、大人になっていた。
で、生活が圧し掛かってきて、しまった! と気づいた時にはもう遅い。
程度の差こそあれ、オイラもその一人だ。たまたま好きな映画について書いて食えているだけの話だ。
タクシードライバー』のトラビスと自分の間にあまり差はないと思っている。


『ラッパー慕情』で家賃を払わない男は「オレは飛行機の研究をしているんだ!」と言いながら、毎日部屋に引きこもって飛行機のプラモデルを作っているだけ。
しかし…。
このエンディングは実に泣けた。


とにかく撮影と編集に観客にわかってもらおうという思いやりが欠けているので、見づらい映画だ。もし、藤原君ではなくプロのカメラマンの手で撮影されていたら、何百倍も観客は広がることだろう。
しかし、見やすいか見易くないかという作品の完成度と、
魂とはまた別の問題だ。
これほど心をつかまれた映画は最近ない。


百円で何でも教えてくれるホームレスを演じる田野辺尚人氏のキャラクターだけは誰にでも楽しめるだろう。
田野辺氏は現在『映画秘宝』編集部の重鎮だが、そもそも『映画秘宝』という雑誌は、彼が藤原監督と中原昌也くんと作った『悪趣味洋画劇場』というムックを定期化するという企画だった。
「ミスター映画秘宝」である田野辺氏は、この『ラッパー慕情』で、ジョー・パントリアーノをしのぐメフィスト的演技を見せる。個人的には笑い死ぬかと思った。