『ドライヴ』のパンフに原稿書きました。

『ドライヴ』のパンフに原稿書きました。

君を連れて夜中じゅうドライブしたい
君に君が聞きたくないことを話したい
君の中に何かがある 
説明しにくいことが

 ユーロなエレクトロ・ビートと加工されたボーカル。ロサンジェルスの夜に筆記体で書かれるタイトル。Drive その色はネオン・ピンク。
 このセンスはどこかで観た記憶がある。『卒業白書』(83年)だ。トム・クルーズ主演のダークでエロティックな青春映画で、ドイツのプログレ・グループ、タンジェリン・ドリームシンセサイザーと、シカゴの夜景で始まる。クレジットタイトルの色は紫だが、ポスターのロゴはネオン・ピンクで、しかもDriveと同じ筆記体だった。
「80年代、俺はハリウッド映画のプロデューサーだった」『ドライブ』のヤクザ、アルバート・ブルックスは言う。「セクシーなアクション映画だ。批評家にヨーロッパ的だと言われたよ」
 このセリフは『卒業白書』など、80年代の『スカーフェイス』『ザ・クラッカー』、それにテレビの『マイアミ・バイス』などの、ピンクのネオンとデジタルビートの犯罪モノ、いわゆる「ネオン・ノワール」を指している。つまり、このセリフは『ドライブ』という映画のスタイルの源流を告白している。
 ジェームズ・サリスの小説『ドライブ』は、『ザ・ドライバー』(78年)に大きな影響を受けている。どちらも主人公は逃走車運転手で、名前は最後まで明かされない。『ザ・ドライバー』の脚本・監督ウォルター・ヒルは、セルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウェスタンクリント・イーストウッドが演じる「名前のない男」の引用だと語っており、ドライバー役のライアン・オニールに西部劇のガンマンが使うコルトSAAを持たせている。
『ドライブ』が最初の予定通り、ヒュー・ジャックマン主演、ニール・マーシャル監督で映画されていたら、きっと『ザ・ドライバー』へのストレートなオマージュに満ちた、しかし凡庸な映画になっていただろう。マーシャルは『マッドマックス』シリーズへのオマージュだけの映画『ドゥームズデイ』を作ったような映画オタクだから。ところが、この企画を引き継いだニコラス・ウィンディング・レフンは、肝心のカーチェイスすらほとんど見せず、観客から「期待してたのと違う!」と訴えられたほどの奇妙な映画にしてしまった。
『ドライブ』は、セリフが数えるほどしかない『ザ・ドライバー』よりもさらにセリフが少ない。ケリー・マリガン曰く「私とライアン・ゴズリングが黙って見つめあってるシーンばっかり」なのだ。その代わり、セリフ以外のものが語る。
 まず色。ドライバー(ゴスリング)の青い眼、青い服、整備工場の青い壁……。イレーヌ(マリガン)の赤いベスト、セーター、アパートの赤い廊下……。画面はいつも、冷たい青や緑と、暖かい赤や黄色やオレンジに塗りつぶされる。その二色のコントラストは、ドライバーの冷たい暴力と、イレーヌの暖かい日常の対立でもある。
 出会ってはいけないその二つが交差する。ドライバーの職業を聞いたイレーヌが「危険?」と尋ねる。それは二人の関係をも意味している。
 ドライバーがイレーヌの息子とテレビを見ている。「どっちが悪役か、わかるの?」「サメだから」サメSharkには「借金取りのヤクザ」という意味もある。後でイレーヌの父親は息子の眼の前で借金取りに半殺しにされる。
 イレーヌの夫の出所祝いパーティで流れる歌「アンダー・ユア・スペル」の歌詞は、彼女のドライバーへの思いを代弁する。
 食べられない 眠れない
 あなたのことしか考えられない
 レフンが引用する映画は普通じゃない。たとえば、ドライバーが背負うサソリ。それは、ケネス・アンガーの『スコピオ・ライジング』(63年)で繰り返されるサソリのイメージを思い出させる。これはハーレー・ダヴィッドソンに乗るバイカーを描いたアート映画の古典で、既成のポップ・ソングに主人公の気持ちを語らせるテクニックの先駆と言われる。また、ドライバーが語るサソリとカエルの話は、『アーカディン/秘密調査報告書』(55年)で、監督でもあるオーソン・ウェルズが語る話である。ニール・ジョーダンの『クライング・ゲーム』にもこの話が出てくる。
 ストリップ・バーの控室でドライバーが敵を拷問している最中、周りのストリッパーたちはまったくの無表情で動きもしない。これはデヴィッド・リンチの『ブルー・ベルベット』(86年)で暴れるデニス・ホッパーと無表情なダンサーたちのシーンの引用だろうか。ちなみにそのシーンは本編ではカットされ、DVDの付録で蘇った。ストリッパーの一人が退屈そうに自分の乳首にライターの火を近づけると、なぜか蝋燭のように乳首が小さく燃える。奇妙な奇妙なシーンだ。
 美しくも惨たらしいエレベーターでのキス。ライティングの絶妙な動きに注意して観てほしい。エレベーターのドアが閉まった時から、ドライバーは人間ですらなくなってく。レフン監督はアレハンドロ・ホドロフスキー監督の『エル・トポ』(70年)に影響を受けたという。『エル・トポ』は「名前のない男」のキリスト的イメージをさらに推し進め、西部のガンマンが「死」を経験して救世主として復活する。
 最後に流れる歌は「リアル・ヒーロー」。
 あなたは証明して見せた
 普通の人間であることと
 本当の英雄であることを
 様々な影響を受けながらも『ドライブ』は結局、どんな映画にも似ていない。誰も見たこともないものを見せてくれる、100分間のドライブなのだ。