ななこSOSと右翼(続き)

ななこSOS」と右翼の続き。


僕が編集した右翼の本に怒ったもう一つの右翼団体は上野にあった。
大喪の礼の時、僕らは愛国党の赤尾敏先生と共に皇居に行ったんだけど、
そこでひときわ大きな国旗を掲げた右翼団体が行進する姿を写真に撮って掲載したのだ。
彼らはその写真を無断で載せたから怒ったわけじゃなくて、
その写真の下にある岩上安身さんの文章で「天皇の葬儀だというのに金時計をじゃらつかせて来ている右翼どもがいる」と書かれており、それが自分達のことのようにしか見えない、と抗議してきたのだ。


今度は原稿を書いた岩上も編集長も来い、ということになった。
上野の事務所では顔を真っ赤にして怒り狂った十人以上の団員に囲まれた。
なかでも青年部の代表であるFさんは、体重百キロほどでUWFの中野龍雄にそっくり、
拓大の空手部出身と自己紹介した巨魁だったが、
「俺たちはヤクザが隠れ蓑としてやってる金儲け右翼とは違う。
みんな別の仕事で働きながら、純粋にお国のためにやってるんだ。
それを金時計なんかしてる連中と一緒にするな」と涙ながらに訴えた。
僕は自分でやったくせに「マスコミって罪な商売だなあ」と無責任に思いながら事務所の中を見回していた。
壁にはスケジュール表があって「靖国神社」「憂国忌」「○○新聞に抗議」「銀座で街宣」など、右翼団体としての予定が書いてあったが、その中に「後楽園・全女」というのがあった。
Fさんは女子プロレスのファンだった。
原稿を書いた岩上安身さんも格闘技とプロレスの大ファンだった。
二人はいつのまにかオタク話で意気投合し、岩上さんは二人の交友を別冊宝島おたくの本』に「僕と右翼とプロレスおたく」という原稿に書いた。

そしてFさんを知っていくうちに、判明したのは、彼のオタクはプロレスだけではなかったということだ。


まず、僕は昔からのモデルガン・マニアなのだが、科学技術館で開かれていたミリタリー・マニアの即売会に行ったら、「よお」とFさんに声をかけられた。Fさんは軍服マニアでもあって同人誌に参加していた。
「オレはいつも、この手のイベントにいるし、アメ横には毎日通ってるよ」
 きっとそれまでも僕とFさんは同じ場所に何度もいたことがあるに違いない(事実、その後、FMWの会場で会った)。

ミリタリー趣味はまあ、右翼だから普通といえば普通だが、
その後、ロリコン同人誌の先駆け「れもんピ−プル」に参加していたロリコン同人誌の黎明期からのベテランと話していたらFさんの知りあいだった。
Fさんのフルネームは単純かつ珍しいのでその名前を出して容貌を話すと誰でも、「ああ! あの人!」とわかるわけだ。
Fさんは「ななこSOS」ファンクラブの一員で、よくロリコン系の同人誌即売会では昔からの常連だというのだ。


さらにその後、怪獣俳優として知られる破裏拳竜さんと話していたら、1984年のゴジラ復活委員会の話になった。「メカゴジ逆襲」を最後に十年以上、ゴジラ映画を作らなかった東宝に新作映画を作らせようというファン活動があった。彼らはファン(たしか品田さん?)が作ったモスゴジの着ぐるみで各地に出没した。破裏拳さんもそのモスゴジを着た。
「着ぐるみを運ぶのに、Fくんが右翼の街宣車を使ったんだよ」
 なんとFさんはゴジラ復活活動にも関わっていたのだ。
 そして、わかった事実は……。
 1980年代、右翼の街宣車が「怪獣大戦争マーチ」や「宇宙大戦争マーチ」「海底軍艦マーチ」、それに「宇宙戦艦ヤマト」を大音響でかき鳴らしながら新宿や銀座を走り回っており、「右翼にもおたくがいるのか」とオタクの間で話題になっていたのだが、その犯人はFさんだったのだ。


ロリ、ミリ、プロレス、怪獣、と初期オタク界で活躍したFさんは90年代初め頃、白血病で亡くなった。
破裏拳竜の自伝『怪獣バカ一代』は一章を彼に捧げている。