フィクションは実話を超えられるのか?
聞き手・文:秦野邦彦
理想の日本人だけだと
嘘のドラマになってしまう
●──町山さんが以前書かれた『カーネーション』や『あまちゃん』評、楽しく読ませていただきました。NHK連続テレビ小説(以下「朝ドラ」)はいつごろからご覧になられていたんですか?
町山 アメリカに渡るまでほとんど観たことなかったの。朝ドラ観てたら学校とか会社に遅刻しちゃうから(笑)。サンフランシスコに引っ越したときジャパンテレビという日本の番組が観られるケーブル・チャンネルがあって、当時子どもがまだ小さかったから日本語の勉強のために一緒に観るようにしたのね。それで『ちゅらさん』を観て、朝ドラってこんなに面白いんだと思ったよ。
●──『ちゅらさん』はどこが面白かったですか?
町山 堺正章のお義父さんがすごくよかったね。沖縄行ったとき、地元の人が言ってたけど、タクシー運転手って沖縄ではいちばんダメなやつがなるんだって。いつでもサボれるから。よくリサーチしてるなと思った。いつも三線をいじってるのもブルースの世界だよね。俺みたいに社会の端っこに生きてる人間からすると、ああいうちょっと怪しげな人は好感持てるよ(笑)。俺は、朝ドラは、理想的な日本人像から外れた人がどれだけ描かれてるかで観てる。身のまわりに必ずはぐれものっているじゃん? それを出さないといい人ばかりの嘘のドラマになるんだ。
関係ないけど俺、山田孝之くん主演の映画版『電車男』のアメリカ版DVDで、なぜか副音声解説をやってるの。それで国仲涼子の登場シーンで「この人は主演の山田くんのお姉さん役で朝ドラに出てました」ってどうでもいい豆知識話してる(笑)。
●──それ以降も続けてご覧になったんですか?
町山 観てたけど記憶に残ってない。ヒロインの目的がはっきりしないドラマが多かったからだと思う。その最大の理由は、朝ドラ自体が大きな矛盾を抱えているからだよ。ヒロインがなにかの目的に向かって生きなきゃドラマにならないけど、家庭に入ることを否定はできない。妻や母になることよりもキャリアを選ぶ女性を描いたら、実際は視聴者の多数派である主婦の共感を得られないと心配しちゃうわけだよ。
●──朝ドラで描くにはふさわしくないと。
町山 ターゲットは子どもや夫を送り出したあと、家にいる専業主婦なんだもん。彼女たちを肯定するように作るしかないでしょ。でも、ヒロインに目指すべき夢がないとドラマとしての推進力がないから、必ず最初に音楽とか料理とか目的が与えられるんだけど、決してその夢をヒロインの人生のすべてにすることはできない。結婚を捨てて夢にかけるヒロインは描けない。その矛盾から朝ドラははじまってると俺は思ってるの。たとえば『ちりとてちん』は話としてはすごく面白かったけど、ヒロインは落語家になったあと、結婚して子どもができて、「女将さんになるから落語家をやめる」というラストになる。別に女将さんやりながら落語やってもいいじゃん。もっと許せないのは『おひさま』で、ヒロインは学校の先生で、子どもが生まれると校長から「子育てと教師は両立できない」とか言われて教師を辞める。辞める必要ないよ! 戦えよ! ヒロインが戦わなくて誰が戦うんだよ。そもそも現実には仕事と家庭を両立させてる人がいっぱいいるのに、どうしてフィクションが負けちゃうのかね。たとえば『芋たこなんきん』は田辺聖子さんの実話をもとにして、母としても作家としても見事に両立してるんだよね。実際、朝ドラで成功した作品は完全なフィクションよりも実話に基づいた話が多いんだよ。
●──『純情きらり』もモデルがいましたね。
町山 『純情きらり』はヒロインの宮粼あおいの姉の婿になる西島秀俊がやばかったね。彼の役は原作者の父・太宰治がモデルなんだけど、ものすごく憂いのある色気のある男で完全にドラマをさらっちゃって、ヒロインまでこの義兄によろめいたりして、西島のエロスにドラマが完全に破壊されたよ。ぜんぜん純情じゃないよね。欲情きらりだよ(笑)。でも、この先の読めなさもまた朝ドラの面白さなんだな。放送中に脚本家が同時進行で書いていくからね。
●──そのほかで、町山さんが気になる作品はありますか?
町山 『つばさ』は惜しかった。かつてTBSで久世光彦が演出した『寺内貫太郎一家』とか『ムー』のような脱ドラマ的手法を甦らせようとしたんだよね。毎回サンバのダンサーが飛び出してきたり、実在しないイッセー尾形は『ムー』の近田春夫だし、『寺寛』の西城秀樹がなぜか木製のブーメランをやすりで磨いてるのも「ブーメランストリート」って歌がネタでね。この脱ドラマにヒロインが乗ってないのが失敗だったと思うけど、これは『あまちゃん』への前哨戦だったんだね。
●──このあたりから朝ドラも挑戦的な作品が増えてきますよね。町山さんも大好きなマンガ家・水木しげるさんの実話をもとにした『ゲゲゲの女房』とか。
町山 水木さんって片腕がないでしょ。それがテーマとして前面に出されず、日常の、何気ない点景として描かれているのがいい。障害や差別や死やセックスは実は日常の一部だから。朝ドラって健全な人しか出てこないけど、それって本当は不健全なことなんだよ。
ひと言も戦争反対と
言わなかった『カーネーション』
●──そして町山さん絶賛の『カーネーション』。
町山 最高だったね。すべての人に複雑な内面がある。最初嫌なやつとして登場しても決して嫌なやつだけでは誰も終わらない。とにかく主人公のお父さんのキャラクターが秀逸で、娘をやたらぶん殴るけど、ミシンの先生に「うちの娘にミシン教えてやってください」って土下座して。いい父親でもあって悪い父親でもあるという。あれはリアルだよ。でもフィクションだとたいてい、一面的なキャラになりがちなんだよね。
●──また、あっさり死んじゃうんですよね。
町山 あれ実話なんだよ。人間は複雑だってのは実話がいちばん証明してるよね。カーネーションを映像的な象徴として使っていくところもすごく映画的だった。戦争がはじまって、いちばん苦しいときに赤い花びらが散るところとかさ。ひと言も戦争反対とか言わないんだよね。玉音放送を聴いても泣いたりしない。ただ「飯にしようけ」って言うんだ。静かな怒りと希望を込めて。抜群にうまかったね。
ヒロインと周防さんとの不倫もよかった。ずっとふたりなにも言わなくて、最後の最後に「これ以上一緒にいたら好きになっちゃいそうだったから」って、一週間引っぱったのは今のテレビ界で珍しいよ。それに主婦がターゲットの朝ドラで不倫を糾弾するでもなく賛美するでもなく、ただ切ないものとして、同時にエロチックに描いたのは本当に素晴らしかったね。
●──次の『梅ちゃん先生』はいかがでした?
町山 これは鶴見辰吾のインチキな詐欺師の叔父さんと、それに感化された梅ちゃんの弟、「男性関係でトラブルが多い」女性、アスペルガーらしい医者との恋とか、複雑なキャラを次々に出してるのに、それ以上つっこまないで逃げちゃった。梅ちゃんは医者なのに死や病や貧しさなどの切実な問題と直面しない。それじゃ医者にした意味ないよ。
●──朝ドラで暗黒面はなかなか描けないですよね。
町山 そこに足を踏み入れすぎても『純と愛』みたいになるから(笑)。すごかったのは愛の設定だよ。死んだ双子の弟に意識を乗っとられる二重人格と人の心が見えるというSF的設定を持ちこんだのに後半ぜんぜん使わなくなって。これは脚本家が「出てくる人がみんないい人」という朝ドラのパターンを破壊しようとして、嫌な人間ばかりのなかで話をどう転がせるか実験したんだね。だから最初は応援してたんだけどね。
●──最初のころ、愛の母親(若村麻由美)が純に向かって「あなたはゴキブリみたいな人ね」って言ってましたよね(笑)。
町山 それが突然、いい人に変わっちゃう。そうじゃなくて観ている側の気持ちのほうを変えなきゃねえ。ただ、セックスの匂いをバンバン出したのは偉いと思った。ふたりの初夜もちゃんとやったし。これはNHKが行きつ戻りつしながら実験体制に入ったことを明確に示したドラマだと思う。逆にいえばNHKだからここまで攻められるわけで、スポンサーの顔色うかがってたらこんな実験できないよ。ちなみに双子の意識がもうひとりのなかに入って邪悪な二重人格を作る元ネタは、ブライアン・デ・パルマの『悪魔のシスター』だよね。『純と愛』は途中で愛が邪悪なほうに乗っとられたほうが面白かったのにね。「お前がずっと愛だと思ってたのは、愛を演じていた俺なんだ! お前は俺に抱かれたんだ!」とかさ(笑)。
●──めちゃくちゃ怖いですよ(笑)。
町山 だって最初の設定だとそう思うじゃん? 朝ドラは書いてるほうにも決着点がわからないのが危険でもあり、面白い。アメリカのテレビドラマは伝統的にそうだけどね。いいキャラが出てくると、そいつに引きずられて話がぐちゃぐちゃになっていくの。好きなのは『スキャンダル』という大統領のスキャンダルもみ消しのプロを描いたドラマで、いちおう実話だったのが、どんどん暴走して今は世界大戦争みたいな話になってる(笑)。日本で、そういうどこに転がるかわからない面白さを持ってるのは今朝ドラだけだね。そこをうまく活かせないかなと。フィクションの場合は話が脱臼しちゃう場合が多いけど。実話が成功するのは話が決まってるからだよね。『あまちゃん』は折衷で成功したね。
●──町山さんが歴代ベストに挙げる作品ですね。
町山 あれはオリジナルだけど東日本大地震という背骨が隠されていたことが大きいと思う。とにかくノンフィクション並みに徹底的に取材してる。地元からの批判のなさは取材の綿密さを物語ってるよ。このドラマがすごいのは明らかに最初から地震に向けてカウントダウンがはじまってたところでしょ。みんなふざけてるように見えながら、実はテンションがだんだん積み上げられていくんだよね。
●──観光協会長がジオラマ作りに没頭したり。
町山 あれとかものすごい伏線だよね。しかも主人公のあまちゃんって脚本書いたクドカン自身でしょ。東北出身でアイドルに憧れて都会に出た彼自身を反映してるから、ほかの朝ドラと違ってぶれてない。なおかつ尾美としのりとか小泉今日子はクドカンが過去に書いた別のドラマのスピンオフ的だし、ほかの登場人物もほかの映画やドラマや俳優のバックグラウンドや、もちろん現実を背負ったものとして出てくる。だから薄っぺらじゃない。『純の愛』の脚本家は演出にまで口を出してたけど、クドカンは現場は完全に演出家と俳優たちに任せてたんだって。そのせいで、どんどん現場のグルーヴが出てくるのもよかったね。脱ドラマ的なギャグもハマってたし。『つばさ』から試行錯誤してきたことがようやく結実したよね。
●──88作目にして、ひとつの到達点だと。
町山 『あまちゃん』は日本にとって非常に重要なドラマだと思う。あの震災に関わるすべての作品のなかで最高でしょ。感動とか涙を売らないで、笑わせながらみんなを救ったじゃない? ものすごく価値のあることをしたと思うよ。それにこれまで朝ドラはずっと戦争というものに囚われてきたけど、そうじゃなくて今そこであった悲劇を題材にしたという点でもすごかったよ。
●──これ以降、視聴率でも成功作が続きます。
町山 『あまちゃん』でノウハウが確立されたんだと思う。笑かしておくときはしっかり笑かそう。セックスも見せるときは見せちゃおうと。『ごちそうさん』なんて、杏が納豆こねながら「こんなに糸を引きおって」とか団鬼六みたいなこと言ったり、「真夜中のどったんばったん」とか、しつこいぐらいにエロネタを入れてたじゃん? あれは伊丹十三の影響受けてるんじゃないかな。
●──性と食。『タンポポ』ですか。
町山 食事ってのはセックスと同じ快楽なんだと。それを抑制するなという思想が『ごちそうさん』にはあったよ。食事を作ることを通してヒロインが自立して成長する。『カーネーション』と同じで直接「戦争はいけない」とか言わない。ただ美味しいものを食べたい、それを阻む戦争ってのはよくないんだと視聴者が自分で判断するようにできてる。意地悪な小姑の和枝さんも最高だよね。だってみんなあの人の内面の複雑さを知るうちに好きになったでしょ。最後までいい人にはならないけど、観るほうの見方が変わったの。これぞドラマだよ。『ごちそうさん』はフィクションであれだけ最後まで地に足着いたままやったのはがんばったと思う。
●──食をテーマにしたことも大きかったですね。
町山 料理をとおして自己実現する話だからね。それでヒロインは世界と戦っていく。やっぱり負けてもいいから主人公は戦わなきゃ。
●―――とはいえ『花子とアン』は戦い続きで大変ですけど(笑)。
町山 息子の死を描いたのは実話ならではだよね。フィクションで幼い子どもを死なせる話はなかなか書けないよ。あと、花子も蓮子も略奪愛だから、昔では考えられないよね。本当に朝ドラは段階的に成長してるよ。それはBSで夜11時からの再放送がはじまったこともすごく大きいと思う(12年4月より)。ずっと子どもを送り出したあとのお母さんが観る番組だったけど、今は若い子も観るようになってるじゃない? 観る層が広がったことで内容にもかなり影響が出てるよ。
●──専業主婦も少なくなって。
町山 今は共稼ぎじゃないと食っていけなくなってきてるから。『あまちゃん』なんてアイドルの話ばかりやって50代以上が置いてかれちゃうから、無理やり橋幸夫のエピソード入れてたよね(笑)。『あまちゃん』の視聴率が意外と低かったことで実は人気なかったんじゃないかと言ってる人がいるけど、それはとんでもない間違いで、視聴率の算出にはBSが入ってないから。それを入れたら観た人数はすごく多かったと思う。それを年配の人でも楽しめるよう修正したのが『ごちそうさん』なり『花子とアン』だよ。たぶんDVDも昔より売れてるんじゃないかな。『あまちゃん』みたいに伏線がちゃんとあとで活きる話は何度も観たいもんね。
●──ありがとうございました。町山さんの解説は一貫したドラマの見方があって、わかりやすいですね。
町山 というか、おっさんでこんなに観てる人いないよ。みんな会社行ったり仕事行ってるんだから(笑)。
●──10月開始の『マッサン』は初の外国人ヒロインで、ニッカウヰスキー創業者の実話ベースです。
町山 実話だったらそんなに失敗しないよね。とにかく朝ドラのヒロインは夢を抱いたなら簡単にあきらめないで、最後まで戦ってほしい。家庭のために仕事を諦めるなんて絶対ダメ。今は少子化が問題になってるんだから、仕事もやるし子どもも育てることにしないと日本は滅びるよ。実際、両立させてる人は多いんだからフィクションが現実に負けちゃだめだよ。