「ルーパー」のパンフに原稿書きました。

『ルーパー』のパンフに原稿書きました。

 現在も、過去も
 おそらく未来のなかにある
 そして未来もまた過去に含まれる
 すべての時が永遠に存在するなら
 どの時も取り戻すことはできない
    T・S・エリオット『四つの四重奏』より筆者訳

『ルーパー』のアメリカ公開時、ライアン・ジョンソン監督は、劇場用副音声解説をした。DVDの副音声解説のように彼がしゃべった音声ファイルをインターネットで誰でもダウンロードできるようにしたのだ。その他、ニューヨーク・タイムズや英ガーディアン紙などでジョンソン監督は『ルーパー』について丁寧に語っている。実際、映画を観ただけではわかりにくい点が残るからだ。ここでは、それらの監督の言葉を基に『ルーパー』について解説しよう。
 まず、『ルーパー』は2044年が舞台で、2074年からタイムマシンで送られてくる人間を処刑する仕事人が主人公だが、その理由は2074年には殺人が不可能だから、と説明される。なぜ不可能なのか?
 監督によると、2074年にはナノテクノロジーの発達によって、人は生まれた時に、ナノマシンを注射されることになっているという。それは微生物のようなロボットで、体内で自立して作動し続ける。宿主の健康データを内部からチェックしたり、GPSとして宿主の居場所を発信したりするわけで、その人を殺せば、殺人の時刻と場所は一瞬でバレてしまう。だから、犯罪組織は殺したい人間をタイムマシンで、行方不明にすることにしたのだ。
 ジョー(ジョセフ・ゴードン・レヴィット)が使う奇妙な銃はブランダーバスという18世紀の銃の未来版だ。ブランダーバスは「雷筒」というオランダ語が語源で、日本では「ラッパ銃」などと呼ばれる。太くて螺旋の切っていない銃身に銃口から火薬と弾丸を詰める。弾丸でなくても金属片なら釘でもいい。それが広い範囲にばらまかれる。射程距離は短いが、近くの敵なら確実に当たる。たとえば揺れ動く船の甲板で迫りくる敵に向けて撃つために使われた。
 そんな原始的な銃をルーパーに持たせた理由をジョンソン監督は、「ルーパーがギャング組織の最下層の存在だからだ」と説明している。「手を縛られた人間を至近距離で撃ち殺すだけで技術は要らない」。組織ではルーパーの上に「ガット・マン」という身分がある。ジョーを追うキッド・ブルーはガット・マンだ。彼が振り回す巨大なリボルバーは実在する、マグナム・リサーチ社製BFR(Big Frame Revolver)。45-70というスプリングフィールド軍用ライフル用の弾丸を発射する。またキッド・ブルーという名前は73年の西部劇『おたずね者キッド・ブルー/逃亡!列車強盗』でデニス・ホッパーが演じた列車強盗の名前から取ったという。
 ライアン・ジョンソンは影響を受けた作品を隠さずに語る。たとえば、『ルーパー』ではサイコキネシスが登場する。最初はバーで女の子をナンパするのに使う芸程度のものとして軽く扱われる。その扱い方は、村上春樹の小説『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』から学んだという。「SF的な設定だが、SF的アイデアはテーマの前面に出ない。そのさりげなさを参考にした」
 他にも、近未来の殺し屋が主人公という設定は『ブレードランナー』(82年)、将来の大物がまだ子どものうちに殺そうと暗殺者がタイムマシンで送られてくるというプロットは『ターミネーター』(84年)、暴力の過去を背負う流れ者が田舎の農家で母子と心を通わせるという展開は『シェーン』(53年)、そして彼らを守るために孤立無援の畑のど真ん中で刺客と闘うクライマックスは『刑事ジョン・ブック/目撃者』(85年)からヒントを得たという。
 それだけなら「よくできたアクション映画」でしかなかっただろう。しかし、『ルーパー』はさらにその先に進み、ハリウッド製アクション映画という枠組さえも解体し始めるのだ。
 ルーパーたちが集まるクラブは「ラ・ベル・オーロル」という。それは『カサブランカ』(42年)に登場するパリのカフェの名だ。
 仏領モロッコでリック(ハンフリー・ボガート)に再会したイルザ(イングリット・バーグマン)が言う。
「あなたに最後に会ったのは……」
「ラ・ベル・オーロルだ」
「素敵ね。覚えてくれてるなんて」
 背後では主題歌「時の過ぎゆくままに」が流れている。
「リックは最初、自己本位な男として登場する。ジョーも同じだ」ジョンソンは語る。「しかし最後にはイルザの夫を救うために命をかける」
 ジョー(以下ヤング・ジョー)は、ブルース・ウィリス扮する30年後のジョー(以下オールド・ジョー)から、これから自分がたどる血みどろの人生について聞かされて、変わり始める。
「これは『マクベス』だ」ジョンソンは言う。シェイクスピアの『マクベス』で、スコットランドの武将マクベスは、荒野で出会った3人の魔女から自分の未来について聞かされる。「あなたは国王になる」「女の股から生まれた者にはマクベスを倒せない」「森が攻めて来ない限りマクベスは安泰だ」その予言通りにマクベスは裏切りと暗殺を重ねて王座を奪うが、予言通りに森が動いて、股でない所から生まれた者に殺される。
マクベスはせっかく運命を知ったのに、それをなぞっただけだった。でも、何が起こるか知ったなら、それを変えることもできるはずだ」
 オールド・ジョーは妻の仇である犯罪組織とレインメイカーを滅ぼそうと、凄まじい殺戮を始める。ところがヤング・ジョーは殺し屋の生活から離れて田舎の農家でサラとシドという母子と静かに心を通わせる。同じ人間のまったく違う生き方が並行して描かれる。これは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に似ている。「私」を主人公にした殺伐とした近未来が舞台の『ブレードランナー』的な物語「ハードボイルド・ワンダーランド」と、「僕」を主人公にした、壁に囲まれた世界でのファンタジー「世界の終わり」が並行して描かれ、後で「私」は「僕」であることが明らかになる。
『ルーパー』は全体の構成もユニークだ。通常のハリウッド映画の脚本は導入部、展開部、クライマックスの3部構成になっているが、ジョンソンによると『ルーパー』は、ジョーの日常、30年後のジョーとの遭遇、サラ&シドとの交流、クライマックスの4部構成だという。
「T.S.エリオットの長編詩『四つの四重奏』の構成にならった」
『四つの四重奏』は四つの詩によって「時間」を論じている。この原稿の冒頭に引用したように、エリオットは、過去と現在と未来は一つに繋がって互いに影響を与えあうものであるがゆえに、一瞬一瞬の選択は後から「取り返しがつかない」Unredeemableと書く。
 Unredeemableとは「贖えない」という意味だが、『ルーパー』はジョーの贖罪redemptionの物語だ。
 オールド・ジョーはいつものように世界を救うために悪党どもを殺しまくる。すべての戦争が正義の名の下に行われるように。それはブルース・ウィリスが他のアクション映画で何十年もやってきたことだ。でも、ここでは憎しみを悪循環させるだけ。暴力は暴力を生むだけ。だからヤング・ジョーは憎しみのループを断ち切る。これでジョーの物語は終わるが、新たな希望の始まりだ。
『四つの四重奏』の最後の楽章は、こんな言葉で始まる。

  我々が始まりと呼ぶものは
  往々にして終わりでもある
  締めくくりは始まりでもある
  結末は我々の出発点なのだ