辻真先「ドンとこい、死神」について書きました
ポプラ社のフリーマガジン(書店で無料でもらえる雑誌)、「astaアスタ」にエッセイを書いたので読んでください。子どもの頃に読んで強く印象に残った本についてのリレーエッセイですが、オイラは辻真先(眞先)先生の『ドンとこい、死神!』(朝日ソノラマ文庫『死に神はあした来る』)について書きました。
元気いっぱいの高校生が、自分を助けて死んだガールフレンドを取り戻すため、霊界に飛び込んで大暴れするという怪奇冒険痛快ジュヴィナイル小説です。
- 作者: 辻真先,中村英夫
- 出版社/メーカー: 朝日ソノラマ
- 発売日: 1975/11
- メディア: 文庫
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ゴディバ・チョコレートのマークは馬に乗った美女で、中世英国の伝説、ゴダイバ夫人を意味している。
ゴダイバ夫人のことを初めて知ったのは小学6年生の時に読んだ『ドンとこい! 死神』という本だった。(文庫化の際に『死神はあした来る』と改題)
『ドンとこい! 死神』は、朝日ソノラマのジュヴィナイル小説シリーズの一冊だった。死神に対して「ドンとこい!」と『おれは男だ!』の森田健作みたいに言ってしまう元気のいいタイトルに惹かれたのだ。辻真先という作者の名前も、『ゲゲゲの鬼太郎』などのTVアニメの脚本のクレジットで見おぼえがあった。
主人公の圭は幼くして両親を亡くしたが強くたくましく育った高校生。ある日、頭を強く打ってから他の誰にも見えない人物が見えるようになる。確かに見えているのに色も顔かたちも曖昧ではっきりしない。その「虚数が黒いマントを着ているような男」は死神だった。
その死神が、幼馴染の美少女、礼子のそばにいる。熱血少年の圭は「死なせるもんか」と息巻くが、逆に礼子は圭を助けようとして車に轢かれて死んでしまう。
それでも圭はあきらめない。「オレがあの世に行って礼子を取り戻してやる!」と、わざと溺死して霊界の門をくぐる。もちろん愛する妻を追って黄泉の国に下ったイザナギやオルフェウスが下敷きだが、「殺しても死なない」と言われた熱血少年の圭は霊界で大暴れする。
行く手を阻むのは剣劇スターのエロール・フリンや武蔵坊弁慶など古今東西の豪傑たち。ちょっと『魔界転生』みたいだが、圭は「歴史なんて知らないよ」とばかりにサッカーで鍛えたキックで色豪フリンの急所や弁慶の泣き所を蹴りあげる。いや、ほんとに痛快だ。
礼子は地獄の魔王ムンカルに連れ去られていた。ムンカルの軍団は罪もない人々に文字通り地獄の責め苦を与えている。
ここで恐るべき真相があきらかになる。
そもそも霊界には天国も地獄もなかった。天国も地獄も人間たちの実のところ想像にすぎない。
しかし霊界でも権力を求め続ける亡者たちはムンカルという独裁者を作り上げ、「南京大虐殺やソンミ村掃討作戦」のような阿鼻叫喚のまさに地獄絵図を実現した。つまり地獄を作ったのは人間たちだったのだ。
「どうせ作るなら天国を作ればいいのに、なぜ地獄を……」と呆れる圭に、死神はつぶやく。
「人間とはそういう生き物ではないのかな?」
善より悪、正より邪、建設より破壊に魅了されるのが人間という生き物ではないのかと。
このへん、『サイボーグ009』の「太平洋の亡霊」などのエピソードで戦争や差別や貧困について子供たちに問いかけていた辻真先氏らしい。
ただし、ちゃんと希望は残されている。ムンカルの邪悪な思念に潰されそうになった圭に、善良な亡者たちの思念が合体して敵を打ち倒す。
さあ、礼子を連れて帰ろう、と思ったが二人の体はとうに荼毘に付されている。そこに「霊界の最高意志ヤマ」、つまり神のような存在が登場する。圭と共に地上に帰りたいと言う礼子にヤマが試練を与える。その試練とは霊界中の亡者が見ている前で裸になること。亡者たちは魂だけの存在だが、自分が生きていた時の服のイメージを身にまとっている。
「ヤマのエッチ! ハレンチ! モーレツごっこなんてもう古いぞ!」
圭は当時の流行語を並べて怒る。読んでるぼくらも鼻血ブーだったが、当の礼子はゴダイバ夫人の伝説を思い出す。
コベントリの領主は重税で領民を苦しめていた。領主の若く美しい妻ゴダイバは、夫に「圧政をやめてくれるなら、あなたの命令を何でも聞きます」と願い出たが、夫は意地悪く「じゃあ全裸で馬に乗って街を一周しろ」と命じる。するとゴダイバは敢然とそれをやってのけた。彼女の勇気に感激したコベントリの人々は窓の外を決して見なかった。
ダンテを導いたベアトリーチェのような「永遠の淑女」として描かれる礼子もまた、ためらいもなく服を脱ぎ捨てた。霊界の人々はみな一斉に心の目を閉じた。辻真先氏は、流行のハレンチ・ブームに乗ったように見せて、人間の善意を讃える感動的な結末へと見事にまとめあげた。
しかし、しかしである、これを読んだ時のぼくの心の目は、いたいけなおさげ髪の少女が愛する少年を救うために真っ白な裸身をさらす姿をくっきりと想像してしまったのだ。
辻氏は「これは余談」と言いながら、コベントリにも一人だけ誘惑に耐えきれず夫人の裸を覗き見した男がいたと付け加える。彼の名はトムといった。それ以来、英語ではスケベのことをピーピング・トムと呼ぶようになった。ちなみにトムは神罰で目が潰れたといわれている。
ああ! ぼくはピーピング・トムだ! バチが当たるようなスケベなんだ!
まだセックスの何たるかも知らない小学生にとってこれはトラウマになった。だから今もゴディバ・チョコレートの売り場の前を通るだけで、訳もなく謝りたい気分になってしまうのだ。ごめんなさい。