イーストウッドの『グラン・トリノ』はデトロイトへの挽歌

TomoMachi2009-02-03

TBSラジオ「ストリーム!」毎週火曜日午後2時「コラムの花道」、本日はクリント・イーストウッド監督主演の新作『グラン・トリノ』について話します。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6885576


先日、デトロイトに取材に行った時、ちょうどこの映画が全米ナンバーワンの大ヒットになっていて、自動車労働者たちはこの映画の話で持ちきりだった。
なぜなら、これはデトロイトの住宅地グロス・ポイントに住む元自動車労働者の物語だから。


50年間フォードの組立工として働き続けたポーランド移民二世の老人コワルスキ(イーストウッド)は妻を亡くしてひとりぼっちになった。かつて自動車会社の従業員たちのリッチな住宅地だったグロス・ポイントから人は去り、代わりに黒人やメキシコ人やアジア人の貧困層流入し、犯罪は増え、荒れ果てていった。白人の住人はもうコワルスキ一人だけだった。


コワルスキはひどい人種差別主義者だった。
黒人をSPOOKと呼び、アジア人は全部ひっくるめてGOOKと呼んだ。
朝鮮戦争では北朝鮮中共軍と戦い、いっぱい殺した。
しかし、70年代終わりからデトロイトは日本車に押されて廃れていき、せっかく育てた息子はトヨタのセールスマンになった。
その息子はわしを老人ホームにぶちこもうとしやがる。
GRRRRRRR.狂犬のようにうなるコワルスキ。
黒人もアジア人もムカつくが、わしがもっとムカつくのは腰抜けになった白人どもだ!


ポーランド教会の司教も、孫ほどの年齢の、ほっぺの赤い若造になった。
その若造に「死とは何でしょう」と説教されると腹が立つ。
貴様のような童貞のガキに死の何がわかるんだ! GRRRRRRR
司教に「懺悔しなさい」と言われるとコワルスキは、
「懺悔するべきは懺悔することなど微塵もないことだけだ!」と怒鳴り返す。



しかし、司教は、死んだコワルスキの妻から聞いて知っていた。
コワルスキが誰に大しても本当に心を開くことが出来ず、
息子たちにも心を閉じているのは、
戦争で人を殺した罪悪感を抱えているせいだと。
でも、その罪は、教会で懺悔したくらいで償えるものではないのだ。


そんな頑固じじいコワルスキにとって唯一心安らぐのは、彼が組立工として作ったフォード・グラン・トリノ72年型をピカピカに磨き上げ、それを眺めながらポーチでビールを飲むひとときだけだった。
『ダーティ・ハリー』と同じ頃に作られたグラン・トリノはアメ車が大きく、強く、たくましかった時代の象徴だ。
コワルスキにとってグラン・トリノは、ハードワーキングな男たちの「ものづくり」がアメリカを支えていた時代の象徴であり、彼の魂、アメリカの男のスピリットそのものだった。


ところが、とうとうコワルスキの隣の家に憎きアジア人の一家が引っ越してきた。
彼らはラオス少数民族、モン族だった。
何族だろうと、コワルスキにとってはGOOK(アジア野郎)でしかない。
GOOKどもで何がムカつくって、芝生や庭の世話をロクにしないことだ!
いつも家と庭をピカピカにメンテナンスしているコワルスキはまたうなる。GRRRRRR。


そのモン族一家には父親がなかった。
長男は心の優しい少年だが、たくましい男の見本を持たなかったために気が弱かった。
不良の従兄弟からしつこくギャングに誘われてもきっぱり断れず、ズルズルと悪の道へと引きずりこまれつつあった。
そして、従兄弟に命じられて、コワルスキの魂、グラン・トリノを盗もうとした。


GRRRRRR、もう、我慢できん!
コワルスキはついに銃を取る。
よく聞け、アジアのへなちょこガキ! 
貴様が本当にこのグラン・トリノを欲しいなら、アメリカの男になれ!
わしがその方法を教えてやる!