http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20071226/1198618893
>それは、文盲のひとが超人的な努力で「字が読める」かのようにふるまうのと似ています。
ああ! と腑に落ちた。
唐沢俊一という男のいかがわしさは、ルース・レンデルの「ロウフィールド館の惨劇」という小説の主人公の不気味さと似ているのである。
この本は、ミステリであるにもかかわらず、いきなり書き出しでこんな風に犯人と動機を割っていることで有名だ。
ユーニス・パーチマンがカヴァディール一家を殺したのは、読み書きができなかったためである。
主人公ユーニスは中年過ぎた家政婦さんで、金持ちのカヴァデイール家に雇われるが、文盲であることを隠していた。
そして彼女は、必死の努力と知恵で、文字が読めるように振舞うのだ。
「そこまで苦労するなら読み書き習えばいいじゃん!」と思ってしまうが、コンプレックスと裏腹に妙なプライドがあるユーニスは無学である事実をひたすら隠し、カンニング的方法で切り抜けることばかり巧みになっている。
ところが、そんな綱渡りにも破局が訪れる。
ユーニスは主人が書いたメモが理解できずに蘭の花を枯らしてしまったり、いくつかの失敗を重ね、それをごまかしていくうちにホコロビは雪だるま式に大きくなり、とうとう家族の一人に文盲であることを知られてしまう。それがカヴァディール家皆殺しへと発展していく……。
ユーニスは、他人の雑学本や入門書の類をあちこちつまみ食いするだけで知識人を偽装してきた、「史上最低の知ったかぶり」こと唐沢俊一と通じるものがある。
唐沢に文章を盗用された被害者が要求してきたのは「盗用を認める」ことだった。
しかし、それこそ、彼が絶対に認めることができない事実だった。
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_3df8.html
↑盗用された被害者のブログ
これによると、盗用を認めなかった理由を唐沢は以下のように述べている。
これを認めると、今後、単純な引用ミスをおかしただけの同業者が、これを前例とした相手に過大な謝罪を要求されるという事態を招きかねない。
自分が悪いと謝罪したはずだったのに、いつのまにか正義の味方気取りである。
「ここで盗用を認めたら、今までのように他人の書いたことをつまみ食いして暮らしていくことが難しくなってしまうから」と本音を書けばいいのに。
異常とも思える唐沢の独善性も「ロウフィールド館の惨劇」を読めば理解できないでもない。自分が本当は無学である事実を認めれば自己が崩壊してしまうユーニスにとって、自分のミスを指摘する者はすべて悪になる。「あたしは被害者なのよ」ユーニスはそう信じているのだ。
ちなみにカーソン・マッカラーズの小説「金色の目に映るもの」は、知恵遅れであることを誰にも気づかれずに大人になった女性がヒロインで、彼女は知的に見えるように、難しい言葉を無理にマネして変なしゃべり方をする。唐沢の文章が、意味もなく大仰な言い回しを多用(しかもほとんどの場合、誤用)した悪文なのは、それと同じ理由なのだ。
唐沢の盗用と無知、ウソをまとめたサイト
http://www13.atwiki.jp/tondemo/
http://diary.jp.aol.com/yzuc9ww/