「もし、その橋が人々の意識を豊かにしないなら、
その橋はなくてもかまわない。
人々は今まで通りに、
泳ぐか船に乗るかして、川を渡ればいい。
橋は空から降って湧くものであってはならない、
デウス・エクス・マキーナによって授けられるものであってはならない。
人々の筋肉と頭脳によって作られるものなのだ」
フランツ・ファノンの『地に呪われたる者』のあまりにも有名すぎる一節を勝手に現代風の言葉遣いにしてみた。
これはアルジェリア独立運動に参加したファノンが、植民地支配において支配者が橋などの便利さを現地人に与えることで現地人は主体性を奪われて飼いならされてくのだ、と論じた文だが、この問いかけは、今も、どこの国に対しても有効である。
便利なシステムができてるからといって、それが本当に必要だとは限らない。
橋は物と人の運搬を便利にするが、だからといって橋が人より偉くなったり立派になってはおかしい。
建物は人が雨風をしのぐために作ったもので、人より偉くなってはおかしい。
会社は人が仕事をしやすくするために作ったもので、人より偉くなってはおかしい。
国や法律は人々の生活を守るために作ったもので、人より偉くなってはおかしい。
歴史や伝統は人が作ったもので、人より偉くなってはおかしい。
どれも人が作ったものだから、人より優位に立たせてはいけない。
「自然」と同じように、あらかじめあるものとカン違いしてはいけない。