日野日出志インタビュー地獄変

TomoMachi2004-05-08

アメリカのコミック研究誌“The Comics Journalコミックス・ジャーナル”から依頼されて日野日出志先生に電話でインタビューした原稿をまとめる。
「コミックス・ジャーナル」http://www.tcj.com/はシアトルのオルタナティヴ・コミック出版社ファンタグラフィック社から出ている学術的な世界のコミックの研究雑誌。
日野日出志先生の作品は90年に『地獄変』がPanorama of Hellとして英訳されているが、今年、『毒虫小僧』と『赤い花』『地獄少女』などが次々に英訳されている。


筆者の日野初体験は『ぼくらの先生』という短編で、当時のオイラは小学生低学年だった。このマンガは前半は小学生の目から本当にやさしくてみんなに好かれる担任の先生がほのぼのと描かれる。オイラは日野先生が恐怖マンガの人だと知らなかったから、てっきり感動ものだと思って読んでいたが、ある日のお昼ご飯の時間に、主人公が先生がいつも隠して食べている弁当箱を覗いた瞬間に凍りついた。



弁当箱には小さなネズミがびっしりと入っていたのである。



これが恐怖マンガだとまったく予想しないで読んでいたバカな小学生が受けたショックのほどを想像して欲しい。

後半は先生の視点になり、ゲテモノ食いにダンダンと取り付かれていく過程が描かれる。そして最後は主人公が先生に食べられてしまうだろうことを暗示して終わる。


電話で話した日野先生は、実に気さくな方で、とてもあんなマンガを描く人とは信じられないが、最高傑作と名高い『地獄変』は日野先生自身、世間への恨みと憎しみを叩きつけた作品だという。
地獄変』は短編『地獄の子守唄』のエクステンド・バージョンで、『子守歌』と同じように日野先生自身が登場して読者に向かって自分の人生や家族について語りだす。おじいさんがやくざだったこと、お父さんも背中に蜘蛛の刺青があって、風呂に入ると色が変わることなどは事実だそうだ。最後に日野先生は「世界中の核兵器を全部爆破したい! 死ね死ねみんな死ね!」と絶叫しながら御自分のご家族を皆殺しにし、最後は読者に向かって斧を投げつける!


「あれはマンガ界への決別のつもりでした」


日野さんは『地獄変』を描いた82年ごろ、ひばり書房などの怪奇マンガの単行本書き下ろし以外に仕事がなくなり、『地獄変』でマンガ家を辞めるつもりだったそうだ。そして、このマンガをたった一人で書き上げたときは、毎晩ヘッドフォンであらゆる歌を片っ端から大音響でかけながら酒をガンガン飲んでベロベロになった状態で、マンガ家なんてやめてやる! みんな死ね! 死ね死ね死ね!と文字通り半狂乱で描き続けたという(その直後に体を壊して入院)。


「なぜか、よくパンク・バンドの人から『ファンです』とか言われるんだけど、なんででしょうねえ」
 そりゃ、先生がどんなパンクよりもハードコアでデスだからデスよ!