映画秘宝で「マジカル・ガール」のカルロス・ベルムト監督にインタビ


今日発売の映画秘宝で『マジカル・ガール』のカルロス・ベルムト監督にインタビューしました。

――『映画秘宝』は映画キチガイの雑誌です。中身を見ればわかりますよね?
カルロス 本当だ。原節子とブラック・パンサーが一緒に載ってる(笑)。グッド・コンビネーション!
――作った本人が言うのも何ですが頭おかしい雑誌です(笑)。さて、今回、初めてカルロス監督の映画を拝見して、次々と予想の斜め上に展開するんでビックリしました(笑)。
カルロス アリガトウゴザイマス。
――大金持ちの男は、かつてルイス・ブニュエル監督の映画でフェルナンド・レイが演じたようなキャラクターですよね?
カルロス ぼく自身、ブニュエルの大ファンなので、どこかで影響は受けていると思います。あの金持ち男は、あまりひどい人間であると思わせないように、わざと甘い声で演じてもらいました。
――小さなことが連鎖反応で惨劇に発展していくのはロベール・ブレッソン監督の『ラルジャン』(83年)も思いだしました。
カルロス この映画で、一見無意味な、無意識にとった日常的な行動がどんどん連鎖して繋がっていくのを描こうとしました。だから発端はできるだけ小さなことにしたかった。たとえば、この魔法少女のコスチュームのように。
――最初は、日本のアニメや漫画に憧れる女の子を描いた、ほのぼのした話だと思って観始めたんです。うちの娘と一緒に(笑)。
カルロス (笑)。
――でも、途中のある時点で、娘に「見ちゃダメ!」と言いました(笑)。日本の魔法少女アニメのファンは世界中にいるでしょ。そういう子たちが「わたしみたいな子の映画なんだ」と思って観て、大変なことになったりしませんか?
カルロス (笑)スペインでは、日本の漫画ファンはみんな「オタク」呼ばわりされています。彼らかはこの映画に「なんだこのクソは!」と拒絶反応を示してますね。「日本のアニメからインスパイアされているくせに、このフラメンコ調の音楽はなんなんだ!」とか、ボロクソに言われました。スペインの「オタク」たちは日本に比べてまだ閉じてますね。
――監督自身は、日本のカルチャーとどんな風に出会ったんですか?
カルロス 子供のときから日本のアニメがTVで日常的に流れていたので、私たちの世代には『ドラゴンボール』や『聖闘士星矢』や『美少女戦士セーラームーン』が人気でした。ただ、ぼくはみんなとは少し違って、ちょっと大人向けの作品が好きでした。ネットが普及してからはネット上で探しながら、なんでこんなに惹かれるんだろう? と思ってました。
――たとえばどんな作品ですか?
カルロス 子どもの頃は『聖闘士星矢』ですね。いろんな要素があって、コメディでもあり、叙事詩的でもあり、「善が善であり続けるとは限らない」「善と悪の反転」といったダークな部分もあったり、そういう部分にすごく惹かれたんです。
――『マジカル・ガール』には深作欣二監督の『黒蜥蜴』(68年)からの引用がありますね。
カルロス いろんな日本のカルチャーを探っていくうち、別々に出会ったものがすべて江戸川乱歩の世界に通じるのだと気づいたんです。60年代の歌謡曲三島由紀夫の本、美輪明宏の映像……自分が好きなものがみんな江戸川乱歩につながっていったんです。
――『黒蜥蜴』は、いつ、どうやって観たんですか?
カルロス ……インターネットです。まあ、著作権的にはアレですが、それなしでは、ここまで日本のカルチャーについて知ることはできなかったと思います。
―― 日本の映画で、『黒蜥蜴』以外に好きなものや、好きな監督は?
カルロス 勅使河原宏監督の作品はとても好きです。『砂の女』、『他人の顔』……。あとは、松本俊夫の『薔薇の葬列』、増村保造の『卍』や『盲獣』とか。
――素晴らしいセンスですね。安倍公房も好きでしょ。
カルロス ええ!
――『魔法少女ゆきこ』の主題歌に長山洋子さんのデビュー曲「春はSA-RA SA-RA」を使っているのがすごいですね。あの歌、どうやって知ったんですか?
カルロス 長山洋子さんのことは知りませんでした。初めはオリジナル曲を作ろうと考えていたんですが、予算の関係上、既存の曲を使うことにして、80〜90年代アイドルの曲をYouTubeで片っ端から見て見つけたんです。
――彼女は現在、演歌歌手の大物で、アイドル時代は黒歴史なんですよ(笑)。
カルロス ああ〜、それはゴメンネ(笑)。もし長山さんにお会いになったら、僕の代わりに謝っておいてください(笑)。
――日本にはどれくらい訪れていますか?
カルロス 2008年に初めて来てから、10回ほど来ています。
――好きな場所は?
カルロス 上野の自然科学博物館とか、新宿2丁目とかゴールデン街とか(笑)。
――ゴールデン街ではどのお店に?(笑)
カルロス えーと、「ラ・ジュテ」と「ダーリン」と「サド」……。
――「ダーリン」は僕もよく行きます!(笑)



――『マジカル・ガール』のバルバラとダミアンの関係について聞かせてください。映画の冒頭で、少女時代のバルバラを教師だったダミアンが叱りますが、その後、ダミアンは刑務所に入っています。彼に何があったのかは語られませんが、監督の中に答えはあるんですか?
カルロス それはぼくも考えようとしました。2人の間に何が起こったのか。たとえ映画の中で描かないにしても自分の中で決めておこうとしたんですが、それがいいことなのかどうなのか、悩んだんです。たぶん、再会シーンに二言三言足すだけで、観客の疑問は氷解するでしょう。でも、そうなるとこの映画はダミアンとバルバラの映画になってしまう。ルイスと娘の物語が消えてしまうと思ったんです。だから、2人の関係は自分でも考えず、観客の想像に任せることにしました。この映画では「現在しか語らない」と自分に課して、脚本を書きました。自分ではこれが正解だったと思っています。
――バルバラという女性は、人を不幸にする悪魔のようでいて、自己犠牲的なキリストのようでもありますが。
カルロス 今回の映画は3つの章に分かれていますが、第1章「世界」はルイスと娘のアリシア、第2章「悪魔」はバルバラ、第3章「肉」はダミアンの物語です。この3つは、カトリックでは「魂の3つの敵」とされています。ぼく自身、今では無宗教ですが、子供の頃はカトリックの洗礼を受け、教会にも行きましたから、カトリックの教えが身に沁みついているんですね。キリスト教では、人が欲望を持ち、それを手に入れようとすることを「罪」と考えます。バルバラは、あるときは聖母マリアのような表情を浮かべながら、瞳には何か別の感情を宿している。言われたような二面性が常に混在します。物語の中でバルバラが犠牲を払うのは、まさにキリスト的ですが、彼女がすることはキリスト教的にはまさに悪魔の行動です。
――『マジカル・ガール』を観て、別の2つのスペイン映画を思い出しました。『汚れなき悪戯』と『ミツバチのささやき』です。どれも無垢な子供が願い事をすると、トンデもないことになっていきますよね。
カルロス ああ、わかります。『汚れなき悪戯』は、ぼくが小さい頃から、クリスマスになると必ずテレビで放送してました。だから嫌でも6回ぐらい観てますよ(笑)。もう怖くて怖くて。キリストが十字架から降りてきますよね。
――そう! そこ! 
カルロス 降りてくるな! と思いましたよ。ぼくにとっては『リング』よりも怖い記憶です。
――ぼくもそうですよ!
カルロス カトリックでは子どもの頃から教会に行くたびに、磔にされて血を流している男の姿を見るんですから、恐ろしいですよ(笑)。もし、日本のお寺に、刀で刺された血まみれのサムライが吊るされていたら嫌でしょう?(笑)
――日本のお寺にも地獄草子がありますよ。
カルロス キリスト教徒は、代々、罪と地獄について語り継がれていくんです。罪を犯すとどんなことになるか、恐ろしいことばかり聞かされて育つわけです。
――『マジカル・ガール』は、罪のない人たちがどんどん不幸になる話ですけどね(笑)。最後にお聞きしたいんですが、去年観た映画で面白かったのはなんですか?
カルロス うーん……『イット・フォローズ』は面白かったですね。
――なるほど! 『マジカル・ガール』と『イット・フォローズ』は両方とも、僕の去年の好きな映画10本に入ってますよ。
カルロス アリガトウゴザイマス!

『サウルの息子』の息子とラストについて


TBSラジオ「たまむすび」、今回は、カンヌ映画祭グランプリ、アカデミー外国語映画賞確実の傑作『サウルの息子』について話しました。

サウルの息子』の監督ネメシュ・ラースローの短編『With A Little Patience(ちょっとの我慢)』。

息子とラストについて

サウルがあの少年を息子だと言って、必死に埋葬しようとしたのは象徴的なことです。
同僚は「サウルには息子がいないはずだ」と言いますが、
サウルにとって、あの子は救えなかった子どもたちすべての象徴なのでしょう。
監督は、『アウシュヴィッツの巻物』という本を見つけて、この映画を企画したと語っています。
それは、ゾンダーコマンドたちが死の前に遺した、アウシュヴィツの記録でした。
ナチはユダヤ人を絶滅させた後、アウシュヴィッツをはじめ、すべての証拠を隠滅して、ホロコーストの事実そのものを歴史から隠蔽するつもりでした。
だから、ゾンダーコマンドたちは密かに紙に事実を記録し、瓶に入れて、あちこちに埋めたのです。
ゾンダーコマンドたちはわずか数名を残して殺されましたが、その記録を入れた瓶は戦後、発掘され、出版され、こうして映画になりました。
ユダヤ教キリスト教では、正しい者は未来に墓から蘇って幸福に暮らせると信じているので、遺体を焼いて消滅させると復活できなくなると嫌がります。
だからサウルは、ユダヤ人が歴史から消滅させられる瀬戸際で、一人だけでも埋葬しようと必死になったのですが、
それは、記録を残せばいつか掘り起こされ人々に伝えられると願ったゾンダーコマンドたちと同じ思いなのです。
だから、彼自身の息子というより、すべてのユダヤ人の未来を意味しているのでしょう。


最後に、サウルは地元ポーランドの少年を見て微笑みます。
それは、あの「息子」が蘇ったように見えただけでなく、
その少年がサウルたちを目撃すれば、彼が後世に伝えてくれるだろうと安心したからでもあるでしょうし、
我々、観客に向かって、「これを見てくれたよね? なら、もう二度とこんなことをしないよね」と希望を託した微笑みでもあるでしょう。
サウルの微笑と「息子」の意味について監督はアメリカの公共放送ラジオのインタビューでこう答えています。
http://www.npr.org/2015/10/07/446586530/son-of-saul-brings-viewers-to-the-heart-of-the-nazi-death-machine-at-auschwitz

NEMES: And you have to bring the message to the future. That's the idea. So the question is whether there's hope that can still exist in the midst of utter loss of humanity and death.
メッセージを未来に伝えていかねばならない。そういうことなんです。人間性が失われ、死んでいく最中でもそれでもなお希望は存在しうるのかどうか、という問いかけです。

未来と希望――それを「サウルの息子」が意味していたのです。

ユダヤ人とはそもそも難民です。
西暦135年、ローマ帝国に反乱したユダヤ王国は解体され、国を失ったユダヤ人はヨーロッパ全体に離散しました。
現在、内戦によって住む場所を失い、ヨーロッパに逃れたシリア難民と同じです。
難民排除の行きつく先はホロコーストなのです。
だから、今、すでに難民排除の声があがっている日本でも、この映画を観る意味があると思います。