ゴダールの「はなればなれに」


 ゴダールの『はなればなれに』(64年)は、クエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』に影響を与えたことで有名だ。ジョン・トラボルタユマ・サーマンがダンス大会に出場する場面を演出する時、タランティーノは俳優たちに『はなればなれに』のビデオを見せた。主演の三人組がカフェでジュークボックスから流れるジャズにあわせて当時流行していたマジソンというダンスを踊るシーンだ。

「これはミュージカルじゃないし、演じてる俳優もダンスの訓練を受けてないから、上手なダンスじゃない。でも本当に楽しそうに踊ってる感じがいいんだよ」とタランティーノは言う。彼は自分の会社にまで『はなればなれに』の英語題名からバンド・アパート・プロダクションと名づけている。ちなみにBand Apartとは「はなればなれに」ではなく「はぐれ者集団」という意味なので、DVDの題名はBand of Outsidersになっている。
 『はなればなれに』を観ると『パルプ・フィクション』が受けた影響は単にダンスだけではないことがわかる。まず映画は自動車に乗ったフランツ(サミー・フレイ)とアルチュール(クロード・ブラッスール)のとりとめもない会話から始まる。これは『パルプ・フィクション』でトラボルタとサミュエル・L・ジャクソン扮する殺し屋コンビがヨタ話をしながら車を運転する導入部を思わせる。
 そして『はなればなれに』の二人は英語学校で知り合った美少女オディール(アンナ・カリーナ)の叔母が隠している大金を盗む計画を立てる。このプロットはドロレス・ヒッチェンズというアメリカの女流作家が書いた『愚者の黄金Fool's Gold』という小説を基にしている。ヒッチェンズは1930年代から50年代にアメリカで大量に出版された、三文犯罪小説の作家の一人だった。男女の痴情のもつれと犯罪をテーマにした三面記事的な大衆小説で、安っぽい紙に印刷されたパルプ雑誌に掲載され、安っぽいペーパーバックで出版されたので「パルプ・フィクション」とも呼ばれた。しかしその安物小説から、文学界では「ハードボイルド」という潮流が生まれ、映画界では「フィルム・ノワール」というジャンルが生まれた。
 パルプ・フィクションはGIのポケットに詰め込まれて第二次大戦後のヨーロッパに運ばれた。それは古本屋に流れ、英語を学ぶ若者たちに読まれた。ゴダールもそんな若者の一人だった。彼はハリウッドのフィルム・ノワールを独自のやり方で模倣することで奇妙な映画を生み出していった。それが『勝手にしやがれ』であり『メイドin USA』であり『はなればなれに』だった。たとえば『はなればなれに』でゴダールはヨーロッパ文学の引用を散りばめる。主人公フランツの名前は作家フランツ・カフカ、アルチュールは詩人アルチュール・ランボー、それにオディールがレーモン・クノーの自伝的小説『オディール』のヒロインの名だ。
 しかし、この『はなればなれに』の魅力はなんといっても無意味で子供じみた遊びの数々だ。フランツとアルチュールは西部劇ごっこをして、ビリー・ザ・キッド役のアルチュールが抜群の死にっぷりを見せる(これはラストに現実になる)。アルチュールはオディールとチャップリンの『黄金狂時代』で有名な「コッペパンのダンス」のマネをしてふざける。フランツはアメリカ製アニメ『ルーピー』の話をする。オディールは冷蔵庫の肉をサーカスの虎にあげるシーンはクロード・シャブロル監督が当時製作していたアクション映画『虎は新鮮な肉を好む』へのあてつけ。そして三人はルーブル美術館の中を全速力で駆け抜ける記録を作ろうとし、「話すことがないなら黙ろう」と言うと映画の音声が完全に消えてしまう!
 凡庸なパルプ・フィクション古今東西の映画の自由奔放な「ごっこ遊び」で解体する、それはタランティーノが『パルプ・フィクション』でやったことと同じだ。『はなればなれに』は『パルプ・フィクション』の生みの親と言って間違いない。なにしろゴダール自身による「これで、私のパルプ・フィクションのようなお話は終わる」というナレーションで幕を閉じるのだから。
 ちなみにエンドマーク寸前にゴダールは「次回作はシネマスコープテクニカラーによるオディールとフランツのトロピカルな冒険になる」と予告しているが、これは『気狂いピエロ』として実現する。