『グランド・ブダペスト・ホテル』とツヴァイク

6月6日発売の季刊KOTOBA7月号(集英社)にウェス・アンダーソン監督の『グランド・ブダペスト・ホテル』とシュテファン・ツヴァイクについて書きました。

グランド・ブダペスト・ホテル』を観ている感覚は、まるで飛び出す絵本を読んでいるようだ。可愛くて楽しくて軽くておかしい。
 でも、このピンクのドタバタの裏には闇がある。
 このズブロフカ共和国はファシストの手に落ちて消滅してしまう。陽気なグスタヴにも最後に唐突な悲劇が訪れる。そして最後にこんな字幕が出る。

シュテファン・ツヴァイクの著作にインスパイアされた」

 1969年テキサス生まれのアンダーソン監督はツヴァイクを知らなかった。アメリカでは絶版になって長かったからだ。数年前、アンダーソンはパリの古本屋でツヴァイクの小説『心の焦燥』(39年)を偶然手に取った。
『心の焦燥』は第一次大戦で戦功を上げた士官の告白。戦前、彼はウィーンの伯爵の一人娘と恋に落ちるが、娘は脚に重い障害を持ち、さらにユダヤ系だった。それが原因で士官は結婚に躊躇し、彼女は自殺してしまう……。
 アンダーソンは最初、『心の焦燥』を映画化しようと考えた。だが、もっと心惹かれるものがあった。ツヴァイクの自伝『昨日の世界』(42年)である。
「じゃあ、両方やってみようと思った」アンダーソンは言う。すなわち、ツヴァイクの小説の世界にツヴァイクの自伝的要素を盛り込んだオリジナルの物語を作ろうと。

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